一連の投稿を読み返してみると、日本においては、(庶民にまで一般化したという点では)、一対婚は明治以降法制化されたという、たかだか100年ちょっとの歴史しかなく、しかも、明治政府から強制されたものであるという歴史的事実が浮かび上がってきます。
政府の度重なる弾圧にも関わらず、農村部ではかなり最近(第二次大戦後しばらく)まで、夜這婚の風習が残存していたこと、現代では、一対婚制度はガタガタになって、すっかり形骸化してしまっていることを考えると、実は、一対婚制度は、決して日本に根付くことのなかった、西洋からの借り物の制度でしかなかったと総括できるのではないかと思います。
では、日本古来の婚姻習俗の伝統と相反しているにも関わらず、何故、近代化に伴って、一対婚が強制的に法制化され、日本古来の夜這婚は弾圧されてしまったのでしょうか?
>欧米列強に抗する「富国強兵・殖産興業政策」の為の「国民の知識向上と文化形成」の一貫である。
直接的には、当時の“進歩的”文化人や学者、政治家たちから、夜這婚は前近代的習俗と見なされ、近代化を推し進めるためには邪魔なモノという認識があったからという理由が大きかったのかも知れません。(もっと言えば、そのような前近代的な習俗が、“遅れているもの”“劣っているもの”と見なされたのは、“進歩的”統合階級の中に、西洋コンプレックスのような意識があったからかも知れません。)
しかし、より根底的に考えてみると、「一対婚制度は、近代国家にとっては、社会統合上の不可欠の制度であった」というような社会統合上の理由があったのではなかろうかと思います。
これは、仮説になってしまいますが、明治政府にとっては、欧米列強という外圧に対抗するためには、軍隊⇒産業⇒市場を拡大させる必要があり、そのためには、明治天皇を頂点とする国家の序列統合のもとに、村落共同体も再編する必要があるという判断が働いていたのではなかろうかと考えます。
夜這婚は集団婚であり、その大前提に村落共同体があります。そして、村落共同体が、村内での相互扶助的婚姻関係、生産関係で成り立っているある以上、村落共同体は、自己収束性をもち、自給自足を基本とする自己完結的な社会となるという基本構造を持っています。しかし、そのような構造が、近代化にとっては邪魔だったのではないでしょうか。明治政府にとっては、人々が村落共同体の中で自己収束していたのでは、村民は新政府の言うことを聞こうとしないでしょうし、富国強兵のための徴兵や、殖産興業のための労働力の確保もままなりません。
実際、明治政府が最初にやったことは、大政奉還から廃藩置県という、社会統合機構の大改革です。江戸時代の幕藩体制が、藩の自治性をかなり残存させた、ゆるやかな連合国家という色彩が強かったのに比べると、明治新政府のもとに、一元的に序列統合するという色彩は強まっています。そのような一元的序列統合を末端にまで貫徹するためには、村落共同体の自治性=自己収束性は邪魔なものであったというわけです。
つまり、欧米列強の外圧への対抗⇒富国強兵・殖産興業⇒市場拡大⇒一元的序列統合国家への再編の必要⇒村落共同体の自己収束性が邪魔⇒夜這婚の弾圧⇒一対婚の強制という形で、明治政府の政策判断はつながっていたのではなかろうか?と考えます。
当時の統合階級が、どこまで深く認識していたかは推測の域を出ませんが、日本における一対婚制度は、急速な近代化のために国家によって必要とされたものにすぎず、木に竹を継いだような制度でしかなかったというような視点は不可欠なのではないかと思います。 |
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