>'70年の貧困の消滅を契機に、それ以降は序列規範が解体される過程にあります。根本規範(本源規範)の大部分を引き継いでいた序列規範が解体されることは、対象同一性(規範同一性)の対象が無くなること、つまり、人々がどんどん対象性を失い自分だけになってゆくことを意味しています。(74917村田さん)
「自分」というものを考える意識の背景には、
対象同一性(規範同一性)が絡んでいるように思う。
つまり、「自分」=収束対象。
収束対象というのは、規範・役割。
>根本規範(本源規範)の大部分を取り入れてきた序列規範が存在していた時代(封建時代)、そして、それに私権の価値観(近代思想)が混在してきた近代には、行動すべき方向が示されていた。つまり、規範を守れば良いとされていたし、守らなければ悪いという基準が明確であったと言えます。(同上)
規範がガッチリしていれば、その規範の中で生まれ育つので、
「自分」などと考えるまでもなく、
自分の中身=規範ということになる。
戦前の「ヤクザ」や‘80年頃の「不良」などを考えてみると、
規範つまり善悪がはっきりしているので、
彼らは「悪」にきまっている。
周りから「悪」という烙印を押されているので、
「自分って何?」と考える必要は全くない。
そこで、努力してみんなの期待に応えられる方向に向かうか、
トコトン悪の道を突き進むか、という選択があるだけ。
現在はまさに、収束不全の状態。
収束対象(=規範・役割)が見えない状態。
「自分で考えなさい」「自分らしく」などといった、
大人たちの無責任な言葉を受けて、
みんな「自分」を必死に自分の中に見出そうとする。
しかし、当然のことながら「自分」の中はカラッポ。
「自分」=収束対象であるならば、
新たな収束対象(規範・役割)を見つければよい。
つまり新たな規範を作ればよい。
「自分探し」や「個性」などといった、
上の世代からの押し付けの言葉に誤魔化されず、
意識を「みんな」に向けること。
「みんな」の中に同一性を見つけること。
それが新たな規範作りの第一歩なのではないだろうか。
|
|