先日のなんでや劇場では「これからの男女関係は?」が扱われ、改めてサル以来の男女関係を振り返り、恋愛がイデオロギーに過ぎず、しかも日本の庶民層においては戦後60年(90年半ばからは実質衰退過程に入っていることを考慮すれば50年)の命しか持っていないことが明らかになった。
庶民が縄文以来の夜這婚=集団婚の実質を持ち、恋愛観念から無縁であったことは勿論のこと、武士階級といえども家意識で統合されていた訳で、結婚の実態は見合いであったことを思えば、江戸までは間違いなく男女関係の中心軸は性市場での恋愛ではなく、規範=役割意識に支えられた和合共認であったことは疑いの余地がない。(現に江戸時代の庶民に受け入れられた心中ものは、専ら私権意識やら身分意識に阻まれた男女和合を問題にしていたし、好色ものは集団婚なき都市における代替システムともいうべき遊郭を舞台にした奔放かつ粋な世界を描いたものである)
なんでや劇場でも問題として取り上げられたように、日本人になじみのない恋愛観念が定着するには、不倫をタブーとする厳格な一対婚規範が定着する必要があるが、日本人はどうしてそんな窮屈なものを受け入れてしまったのだろうか?自我の性が衰弱し和合共認が再生されつつあるにも関わらず恋愛観念の呪縛が解けないでいる現在、一対規範と恋愛観念受容の日本近代史の解明は、その突破口を考えるヒントを与えてくれるかもしれない。
まずは明治政府における婚姻制度改革の流れをおさえてみたい。明治民法の規定には「妻は婚姻によりて夫の家に入る」「夫は妻の財産を管理す」「家族が婚姻を為すには戸主(家父長)の同意を得ることとする」とあり武士階級の家意識が引き継がれたものになっている。しかしこの民法制定の前にフランス人法学者ボアソナードの起草に手を加えた旧明治民法が存在する。この旧明治民法は私権を広範に認めるものになっており家父長制度に反する内容を多く含み、「民法出でて忠孝滅ぶ」と大反発にあい、(自由民権色の強い)フランス法学よりは(民主主義後進国であった)ドイツ法学に依拠した作り直しが行われ明治31年施行となった。このように明治の支配階級においてはフランス流の急進的な自由民権思想(個人主義的で男女平等意識も含まれており家父長制を否定した夫婦同権論)と家意識を中心に置いた皇室中心主義的な思想の相克の時代であったといえる。前者の代表は福沢諭吉、森有礼らであり、後者の代表は初代東京帝国大学学長の加藤弘之であった。
「一夫一婦ともに老いて同じ墓に入るを最上の倫理と認めるべし。表向きの縁談なればとて当人の気の進まぬものを強いるは娼妓に売るのと変わらない。わが国の男女を憂鬱と殺風景から脱するには両性交際を自由ならしめ、相近づきて相見る集会の仕組みを設けるべし」・・福沢
「富貴なものたちが家に複数の妾を抱えている状態は問題である。妻には貞操を強要しながら自らは情欲をほしいままにしている。政府は本妻に子がない場合は妾の子に家を継がせることをよしとしているが、それを訂正すべきではないか」・・森
「夫婦対等は原理的にはそうかもしれないが、今日の欧州における交際の実態は婦権の方がかえって夫権を超えている。このままでは日本も婦権強大の弊害を被ることになる」・・加藤
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