西洋医療と東洋医療
308393 化学者、2億人を救う。「元高校教師」が生み出した薬
 
惻隠之心 ( 59 会社員 ) 15/10/11 AM00 【印刷用へ
ノーベル医学・生理学賞に北里大特別栄誉教授の大村氏が発見した薬は、凄い。役に立つ薬とはこういうのをさすのだろう。 「極めて安全な薬です。だから、医師でなくても、誰でも配ることができる。何回も飲むことで効果が出る薬がほとんどだが、この薬は年1回だけ飲めばよい」。
一般の薬は利益を生ませるように何回も飲ませるように作られているのではないか。

以下引用です

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「毎年2億人以上を感染症から救う」といわれる日本人は、医師ではない。有機化学者大村智が静岡県の土中の微生物から開発したわずか3ミリの錠剤は、感染症予防に絶大な効力を発揮。医師でも難しい偉業を成し遂げた。経歴は異色で、東京の定時制教員からスタートしながら、「ノーベル賞候補」に名前があがる。「人のまねをするな」。人生を貫く深い信念がある。
 
アフリカの奥地に届く「奇跡の薬」

アフリカの田舎の、さらに奥地。医師のいない集落にも、その薬は届いている。「この薬を1回、飲んでください」。集落の代表者が住民一人一人に薬を配り、失明を引きおこすオンコセルカ感染症を防ぐ。病気を防ぐだけでなく、現地の人がより働けるようになり、食糧増産など経済効果も大きいという。

「薬を飲ませる」作業は、簡単ではない。現地は言語が多様で、薬の適切な服用量を測るうえで必要な体重計すらない。教育レベルも高くなく、医師か看護師が常に同行できる環境にはない。「魔法の薬」は、その課題を突破した。

大村はいう。「極めて安全な薬です。だから、医師でなくても、誰でも配ることができる。何回も飲むことで効果が出る薬がほとんどだが、この薬は年1回だけ飲めばよい」。身長と体重はほぼ比例することから、身長に応じて投与する錠数を区分けするよう集落の代表者に教え、誰でも適切な量を投与できるよう工夫した。「WHO(世界保健機関)、米の大手製薬企業メルク社、世界銀行、そして各国およびNGOsまで、幅広い協力があった成果」という。
 
日本の土の中から「たまたま」生まれた
財布から取り出された小さなビニール袋
 
偉大な薬は、静岡・伊豆半島のゴルフ場近くの、ありふれた土の中から生まれた。大村らは土を採取して、その中の菌を分離し分析する。メルク社の協力を得て評価を続けると、家畜動物の寄生虫駆除に効果を発揮する物質が発見された。この物質は「イベルメクチン」という薬になり、動物の寄生虫だけでなく、熱帯地方にまん延するオンコセルカ症に劇的な効果を発揮したのだ。

大村は「奇跡の薬」が静岡から生まれた理由を、「たまたま」と表現する。「全国各地で、1年に2500株は採取する。菌を培養して評価するが、たいていの菌は活用できない。その繰り返し。大変な作業なんです」。大村は、財布を取り出した。「中味のお金は少ないよ」と笑いながら、見せたのは小さなビニール袋。「絶えず持ち歩いて、今でも(土などを)採ったら研究室に送るんです。寝ても覚めても、絶えずそういう気持ちでいる中から、いいものがみつかる」。大村の研究意欲は衰えを知らない。
 
高校教師での挫折と、米国留学での飛躍

大村の経歴は異色だ。出身は山梨県。学生時代は「県内に敵なし」というほどのスキー・クロスカントリーの腕前で、スポーツに明け暮れた。スキーの盛んな新潟県に遠征し、五輪選手に混じって練習を繰り返した。「レベルの高い環境に身を置く大切さ。そして『人まねはしない』で努力を重ねることの重要さを身をもって学んだ」という。山梨大学を卒業後、教師を志し、東京都の教員採用試験に合格した。職を得たのは定時制高校。化学と体育を教えた。しかし自分と同年代の生徒相手にうまく授業を進められず、「挫折」を味わった。大村は「勉強し直さないとだめだ」と思い直す。東京教育大学(現・筑波大学)の研修生になり、さらに東京理科大学大学院の修士課程に入った。研究者としての歩みがスタートし、1965年、北里研究所に移った。

北里研究所は、北里柴三郎が創設し、日本の医学の発展に貢献してきた医学研究所だ。しかし大村の専門とする有機化学は「本流」ではなかった。国内の研究に限界を感じ、留学を決意する。1971年、米国ウエスレーヤン大学でマックス・ティシュラー教授の研究室に入る。教授はその後、世界最大級の学会「アメリカ化学会」会長に就任。世界的企業メルク社の元研究所長だったことから、メルク社を紹介され、米国で世界最高レベルの産学ネットワークが広がった。

米国最高峰の大物教授に、なぜ評価されたのだろうか。大村は「学術成果を出したことに加えて、学生の指導もできたこと」という。優秀な論文を出し、かつ指導もしっかりできる人は多くない。薬「イベルメクチン」が開発され、特許料の配分を決める際、ティシュラー教授がメルク社に告げた。「MAKE SATOSHI HAPPY(サトシを幸せにせい)」。世界的な教授から「信用」を得ていた。
 
「金がなければ、知恵を出せ。知恵もなければ、汗流せ」

大村は帰国後、北里研究所で研究室を持った。「弱小の研究室だった。修士修了生が2人、学部卒が2人、あと高校卒くらい」と振り返る。米国とは比較にならない研究環境。まずは教育から手をつけた。「あなたはこの領域の専門家になれ」と人ごとに目標を定め、「ほめて育てた」という。しかし資金は潤沢だった。メルク社と帰国前に話をつけ、当時破格の年間8万ドルという研究費を得ていた。メルク社と大学という「産学連携」の先駆けになった。ネットワーク作りを、日本の研究所でも続けた。「『大村のところに行きたい』と人が集まる研究室にしたい」との思いから、セミナーを開催し続けた。ゲストは、3分の1が外国人で、何人ものノーベル賞受賞者も含まれるという豪華な顔ぶれ。「招かれるのが光栄と思うようなセミナーを心がけた」という。

教育方針でも「大村色」を発揮した。あるとき優秀な学術論文をコピーで配り、こう伝えた。「ここに書いてあることは、マネするな」。他の人の先行事例を模倣する考え方もあろうが、「人まねはだめ」が大村の信念だ。「金がなければ、知恵を出せ。知恵もなければ、汗流せ」と若い研究者にゲキを飛ばすという。

「あとはノーベル賞だけ」ともいえる華やかな受賞経歴。しかし研究者として、負い目があったという。「大学時代までスキーばかりやっていたので、研究ではずっと1人だけ遅れている引け目があった。取り戻すために勉強しなければ、という気持ちがいまだにある」。
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