日本人と縄文体質
306117 日本の歴史(年表)第10回〜平安時代の年表(武士の歴史は私権社会に対する集団防衛から始まった)
 
田野健 HP ( 54 設計業 ) 15/07/18 PM04 【印刷用へ
>平安時代400年の国内は決して平安ではなく激動だった。そして、渡来文化が日本の風土に合わせて租借改変され、後の日本の仕組みが生まれる胎動期でもあった。

先の投稿でこのように定義したが、平安時代とは日本社会が受け入れがたい私権社会に突入する過渡期であり、混乱期でもあった。そういう中で集団防衛の為に登場したのが武士であり、その武士達を組織化する為に新たな源氏ー平氏といった勢力争いが起きた。平氏は桓武系列で百済系、源氏は藤原系列で伽耶系と見る事もできるし、後の北朝が源氏、南朝が平氏としてみる事もできる。いずれにせよ日本にはこの2つの勢力が長く明治時代まで残り続ける事になる。しかし、関東にこの2つの勢力が集結したという事は関東で力をつけてきた高句麗勢力が水面下に存在していた事を匂わせる。その高句麗末裔の一派が無類の強さであった坂東武士達であったのではないかと推測できる。

平安時代は最初の100年、次の100年、最後の200年間で大きく分けて見る事ができる。今回は最初の200年間を年表に表してみます。

桓武天皇が藤原系から権力を奪取するところから始まります。
□百済系(南朝) ■藤原系(伽耶系・北朝)★武士(高句麗系)△大衆
☆争い

□781年 桓武天皇即位
□784年 長岡京遷都
□794年 平安京遷都 百済系の桓武故により唐風文化が強まる

△795年 公出挙率を3割減らし、雑徭半減⇒大衆の締め上げを減らす。

☆桓武の後の平城天皇で再び平城京に遷都するが、直ぐに嵯峨天皇が対立し再び平安京に遷都 806年

□816年 検非遣使を京に置き、警備を強化する。
    国家中枢による武力社会が進行する

<東北制圧>
蝦夷を配下に置くことは大和朝廷からの積年の課題であった。
古くは斉明天皇時代の阿部比羅夫の658年蝦夷進行に始まる。
以降、奈良時代にも数回に渡り蝦夷へ兵を送り柵を造営する。
☆724年 大野東人 多賀城設置

唐の圧力が弱まった平安時代、兵力を一気に国内に向け、本格的に蝦夷制圧が始まる。788年から攻め続け、アテルイ初めとする東北の縄文末裔の集団である陸奥制圧に50年かけて到達する。

☆788年 蝦夷制圧進出
☆789年 朝廷軍 アテルイに大敗
 797年 坂上田村麻呂 日本初の征夷大将軍
☆801年 蝦夷制圧
☆803年 アテルイ降伏 陸奥に胆沢状築造
※京に検非遣使を配備し、蝦夷の武者をその任に就かせた。

<平安初期の唐風文化>
国家仏教は平安に入っても継続。建物中心の奈良時代から思想、教義中心の中身を伴うものを求めた。しかし唐の仏教は国内に入って改変され、結果的にはその後の神仏習合に繋がる租借が行われた。
一方で仏教はその統合力が為政者に利用され、最澄を初めとする天台宗は国家と密接に繋がる特権集団になっていく

804年 最澄による天台宗開祖
806年 空海が密教を持ち込み真言宗を開祖
唐風文化は嵯峨天皇の時代に終わり、以降は唐文化を日本流に改変する平安文化が京都で育っていく。

それはその時期に唐と朝鮮半島で時代交代が進み、一時的な無風状態になった事と符合する。

<この間の大陸との関係、大陸の動き>
779年 遣新羅使中止
894年 遣唐使中止(但し平安時代には数回しか遣唐使を出していない)
907年 唐滅亡
935年 新羅滅ぶ
936年 高麗による朝鮮半島統一
960年 宋建国

その間に朝廷、貴族で女流中心の文化が生まれる。⇒かな文字の登場
万葉仮名から11世紀には女手と呼ばれ、それがかな文字となって登場。
11世紀後半には片仮名も誕生する。

9世紀〜11世紀の間に文学が登場
9世紀 竹取物語
10世紀 伊勢日記、古今和歌集、土佐日記
11世紀 枕草子、源氏物語

しかし、この200年間は朝廷が社会から浮世として切り離された為、世は荒れ、秩序は混沌としていた。

天皇家中心の政治は嵯峨天皇以降再び藤原家に乗り換えられ、摂関政治として以後1075年の藤原師実まで続く

■884年 藤原基経
■901年 菅原道真
■995年 藤原道長

★武士の誕生はそういった中央と地方の分断の中から発生した。
901年 延喜の荘園整理令
 これ以降、荘園私有(寄進系荘園)が広く認められ、有力農民が土地を所有し開発領主に成長する。負名の登場⇒後の武士になっていく。

■同時にそれまで国司によって中央から派遣されていた税の取立てが、言わばサラ金のような受領という役職にとって代わられ、受領の横領によって地方の税は収奪され、そこから守るための自衛組織 武士が登場した。

★武士は国の直轄のものと地方から成り上がってきた物に分かれたが、最も武力を有し、頭角を現してきたのが関東中心の坂東武士に象徴される防衛組織だった。

□935年〜940年 平将門の乱は彼ら土着武士を組織化し、朝廷に対抗する東の国を一時期作り上げた。

■平将門を平定したのは清和源氏の源氏系武士だった。
以降、平氏対源氏と言った武士を統括する勢力争いが起き、それが平安時代の後半の歴史に繋がっていく。

平氏と源氏の争いもまた百済系と伽耶系(土着系)の争いでもあった。
しかし平氏は海洋系でもあることから明確な百済系ではない。おそらく縄文土着と弥生系混血の海洋民(安曇族達)を百済系が取り込んで勢力を拡大しようとしたのだと思われる。

次は平安時代後半から鎌倉までを扱う
 
 
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