次代の活力源は?
291763 江戸の老人の役割
 
洞爺煩 ( 29 凡人見習い ) 14/06/27 AM00 【印刷用へ
西洋文明(私権)の流入で、日本の社会構造が変化する前。
生産力の上昇、人口増加、衛生面の向上→社会の混合・不整合から秩序化の流れは、現代とも繋がるところがあるか。
そこでの老人の役割は?

一.生産に関わり続ける老人
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老後の生活-江戸時代の繋がりと地域社会
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■老後も働ける限り働く
江戸時代、隠居生活は恵まれた農民のみで、その他の農民は老後も働ける限りは働く。
大藤修氏によれば、重労働は体力的に難しい為、稲の穫り入れ後の落穂拾い、稲の品種計量などの軽作業などをしていた。

■文字の普及による老人の役割変化
江戸時代、学者が書いた農書が出回り、文字による伝達・普及によって、老人の蓄えてきた知識は顧みられなくなったという説がある。
しかし、地域の年配者の持つ技術と長い人生経験に基づく教えは農民の間で伝承され続けた。

■子供と老人は神や仏の世界に一番近い存在
江戸時代、老人の役割の一つに村のもめごとの仲裁があった。
老人は現実社会の利害関係からある程度超越し、人生経験も豊富だから。
江戸時代は、子供と老人は神や仏の世界に一番近い存在あり、現代のように老人を劣等者と見なすことはなかった。
しかし明治以降、近代科学の知識や技術が猛威を振るい、老人の知識や技術を飲みこんでいく。

■江戸時代の平均寿命
渡辺尚志氏によれば17世紀の平均寿命は30歳、19世紀では30代後半。
庶民は武士より短命で、女性は妊娠死亡率が高く、女性は男性より短命。
平均寿命が短い要因は天然痘にかかり死亡する乳児率が多かったから。
しかし成人すれば江戸時代は70歳くらいまで生きる人も珍しくなかった。
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二.老いを尊重する共通認識
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社会の期待に応える介護とは?(中編)
リンク

■高齢者が重宝されていた江戸時代の長屋介護
江戸時代は徳川家康の儒教的な仁政の影響もあり、高齢者が尊重されていた。
老いは悪いことではなくめでたい事であり、基本的に家族とともに暮らし、高齢になっても定年はなく、経験が重視され社会的な役割も期待されていた。
また、医療が発達しておらず、今のように長期間寝たきりになる事はなく、死ぬまでの短期間を家族に見守られて送られていた。
一人暮らしの高齢者も、長屋などの相互扶助が一般化しており、周りの人たちが世話を焼いていたよう。
また、天明の飢饉以降は七部積金と言う制度を作り、身寄りのない高齢者が食うに困った場合は、今で言う生活保護費を支給していた。

@古代ローマから江戸へリンク
江戸時代は、日本史に特筆すべき「老い」が価値を持った好老社会。
儒教に基づく「敬老」「尊老」の精神が大きく花開いた。
「先憂後楽」という語に集約されるように、江戸の人々にとっては、今日と違って人生の前半より後半に幸福があった。
若返りという思想はなく、「老い」が尊重された社会というのは、「若さ」をたたえる社会よりも、人にも自然にもやさしい社会であり、文化であったと言える。

A日本の高齢化前夜の失敗から学び取れるものリンク
江戸時代の状況を伝えるいくつかの史料に、上層の庶民や武士階級にあっては、老親の病状悪化に対処する親族・家族ならびに外部から招かれた介抱人による看病の様子を見て取ることがでる。
しかし、そこでおこなわれているのは病状の悪化に伴う短期間の看護であり、家族総出の生産活動によってかろうじて生活を維持していた大勢の人々にとっては「医療」は日常的なものではなかった。
生産に関与できなくなった老親を「介護」するなどという行為もほとんどおこなわれていなかった。

B『長屋の暮らしに学ぶ-1』 江戸時代の共同体リンク
医療が今ほど発達していなかった当時、親と死に別れた子供や、子供に先立たれた老人も少なくなかったと思われますが、誰か彼かが世話をし、納まるべきところに納まっていたよう。
長屋という大家族ともいえる環境のおかげで、子供もひとり暮らしの老人も大勢に守られて暮らしていけたのかもしれない。
長屋という家族に似た共同体が、実にさまざまな機能を果たしていたと言える。
「大家といえば親も同然、店子は子も同然」という言葉があるように、経験豊かな大人が常に若年層の相談に乗っていた。
味噌や米を貸し借りし、親の帰りが遅ければ、小さな子供はどこかの家庭でご飯を食べさせてもらう。
家族が薬代のために日中働いていてひとり残される病人がいれば、近所の誰かが気にして様子を見てくれる。
夫婦喧嘩には近所の仲裁が入ってくれる。長屋の生活は、貧しくとも案外幸せな暮らしにも思える。

C江戸時代にも生活保護があったリンク
江戸時代も生活保護があった。
天明の飢饉(1782年〜1788年)に伴って発生した江戸での大規模な打ち壊しにより、幕府が危機感を募らせ、江戸では「七分積金」という制度を作った。
簡単に言えば財政を切り詰めて、その分の7割を窮民救済に使うというもの。
身寄りのない高齢者や子どもが食うに困るようなときは、調査の上、手当を支給した。
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三.複層的に関わり合う相互扶助の仕組み
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江戸時代の村落共同体のありよう(2)〜村の多様な役割〜
リンク

○社会的な弱者への互助・救済のしくみ
村は、老人・病人・孤児・寡婦など、社会的弱者・困窮者に対する保護・救済機能を持っていた。
疾病・傷害・老齢などにより村人の生活が困窮したときは、まず家族・親族が扶養する。
しかし、経済的理由などから、それだけでは扶養が困難な場合は、同族団や五人組(村内の5戸前後を組み合わせて作られた組織)、さらには、村が援助の手を差し伸べた。
村の金を支給・貸与したり、村が住居や仕事の世話をしたりした。
さらには、困窮者救済のために、無尽や頼母子(講)がつくられた。
これらは、発起人(親)が参加者(出資者)を募って組合(講)をつくる相互金融機関のこと。
メンバーはくじ引きなどによって順番に、掛け金の額相応の金品を受け取っていき、困窮者がいる場合は優先的に受け取れることが決められていた。
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四.還暦からが人生で一番楽しい時間というのが江戸の考え方
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『お江戸風流散歩道』
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○老いの楽しさ
江戸で皆が心底祝ったのは歳を重ねること=長寿。江戸では、年長者をとても頼りにし、いたわっていた。
「亀の甲より年の功」、机上の空論より長年の経験が重んじられた時代。
江戸には「老後」という言葉はなく「老入れ」といい、前向きな老境を示している。
まず四十歳になると「初老」=入門者。以後「五十の賀」(中級者)を経て、六十歳にして老年の「成年」である「還暦」を迎える。
六十年で、暦が一巡して元に還ることからそう呼ばれ、本卦還りともいう。
還暦からは、晴れて隠居道楽、まっさらな人生のスタート。それを祝い、赤い手作りのちゃんちゃんこや頭巾を身につける。
これは新生の意を込めて「赤ちゃん」の格好をするわけ。還暦の祝いでは、赤ちゃんに許されることは何でも認められた。
欲しいものをねだったり、好きな場所を再訪したり、その人が望むことをできるかぎりかなえてあげる。
還暦からが、人生で一番楽しい時間というのが江戸の考え方で、以降はお祝いが目白押しとなる。
七十歳は「古希」、唐の詩人杜甫の「人生七十古来希なり」の言葉が由来。
七十七歳は「喜寿」、喜のくずし字が七十七と書くから。
八十歳が「傘寿」、傘の略字が八十だから。
八十八歳の「米寿」も、「米」を分解すると八十八となることから。
九十歳が「卒寿」、九十を「卆」=「卒」。
九十九歳は、「百」の上の一を引くと「白」になるから「白寿」。

江戸では、生産を担う若い世代を重要視する農耕中心の地方とは違い、熟練の技が要求される職人の街であったため、経験豊富な知恵者としての年長者が尊敬されました。
その分、畏敬の念と親しみを持ち、地域社会がこぞって長寿のお祝いをした。
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