日本人と縄文体質
291491 日本語が作る脳〜日本人の“縄文体質”や“本源性”は日本語を母語とする限りは失われない!?A
 
14/06/20 AM01 【印刷用へ
日本人は虫の声や自然の音を人に対するのと同じ様に左脳で聞いている・・・

実現論より(実現論1_6_02

極限状況の中で、人類は直面する現実対象=自分たちを遥かに超えた超越存在たる自然を畏れ敬い、現実対象=自然に対して自分たちの生存(=危機からの脱出)への期待を込め、自然が応望してくれる事を切実に願った。つまり、人類は直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続ける中で、元来は同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みたのである。そして遂に、感覚に映る自然(ex. 一本一本の木)の奥に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。直面する現実対象(例えば自然)の背後に精霊を見るのも、物理法則を見るのも、基本的には全く同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ科学認識=事実認識(何なら、事実信仰と呼んでも良い)の原点なのである。

つまり、日本語がつくる脳回路こそ人類本来の認識回路である可能性が高いと思われます。

リンクより
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■5.虫の音に聴き入る文化■

 日本では対照的に、虫の音に聴き入る文化がある。現代でもコオロギ類の画像と鳴き声を納めたインターネットサイトから、飼育法を解説した書籍まで無数にある。「虫の声」という以下の童謡は、虫の音に聴き入る文化が子供の頃から親しまれている一例である。
  
 あれ松虫が鳴いている
 チンチロ チンチロ チンチロリン
 あれ鈴虫も鳴き出した
 リン リン リン リン リーン リン
 秋の夜長を鳴きとおす
 ああ おもしろい 虫の声

この伝統は古代にまで遡る。
  
 夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも
(万葉集、しのに:しっとりと濡れて、しみじみした気分で)
    
近世では、明治天皇の御製が心に残る。
  
 ひとりしてしづかにきけば聞くままにしげくなりゆくむしのこゑかな
    
 一人静かに耳を傾けると、虫の声がより一層繁く聞こえてくるという、いかにも精密な心理描写である。また虫の「声」という表現が、すでに虫の音も言語脳で聞くという角田教授の発見と符合している。もう一つ明治天皇の御歌を引いておこう。
  
 虫声
 さまざまの虫のこゑにもしられけり生きとし生けるものの思ひは

 松虫や鈴虫など、さまざまな虫がさまざまな声で鳴いている。それらの声に「生きとし生けるもの」のさまざまな思いが知られる、というのである。人も虫もともに「生きとし生けるもの」として、等しく「声」や「思い」を持つという日本人の自然観がうかがわれる。虫の音も人の声と同様に言語脳で聞く、という日本人の特性は、この文化に見事に照応している。

■6.犬は「ワンワン」、猫は「ニャーニャー」■

 角田教授の発見では、虫の音だけでなく、そのほかの動物の鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎまで、日本人は言語脳で聞いているという。これまた山や川や海まで、ありとあらゆる自然物に神が宿り、人間はその一員に過ぎないという日本古来からの自然観に合致している。
  
 幼稚園から小学校の4、5年ぐらいの日本の子供に、犬はなんといって鳴くかというと、ワンワンというにきまっているのです。マツムシはチンチロリンという。外国人に聞きますと、ひじょうに困るのです。なんというていいか一生懸命考えて記憶を呼び出して、ウォーウォーといったり、ワーワーと言ったり。[1,p122 対談者の園原太郎・京都大学名誉教授(心理学)の発言]

 日本の子供が「ワンワン」と答えるのは当然である。親が犬を指して「ワンワン」と教えるのであるから。同様に猫は「ニャーニャー」、牛は「モーモー」、豚は「ブウブウ」、小川は「サラサラ」、波は「ザブーン」、雨は「シトシト」、風は「ビュウビュウ」。まるで自然物はすべて「声」をもつかのようである。
  
 このような擬声語、擬音語が高度に発達しているという点が、日本語の特徴である。幼児がこれらを最初から学んでくれば、虫や動物の鳴き声も自然音もすべて言語の一部として、言語脳で処理するというのも当然かもしれない。あるいは、逆に、言語脳で処理するから、言語の一部として擬声語、擬音語が豊かに発達したのか?
  
 いずれにしろ、自然音を言語脳で受けとめるという日本人の生理的特徴と、擬声語・擬音語が高度に発達したという日本語の言語学的特徴と、さらに自然物にはすべて神が宿っているという日本的自然観との3点セットが、見事に我々の中に揃っているのである。

■7.人種ではなく、母語の違い■

 角田教授の発見で興味深いのは、自然音を言語脳で受けめるという日本型の特徴が、日本人や日系人という「血筋」の問題ではなく、日本語を母語として最初に覚えたかどうか、という点で決まるということである。
  
 その端的な例として、南米での日系人10人を調査したデータがある。これらの日系人は1名を除いて、ポルトガル語やスペイン語を母語として育った人々で、その脳はすべて西洋型であった。唯一日本型を示した例外は、お父さんが徹底的な日本語教育を施して、10歳になるまでポルトガル語をまったく知らずに過ごした女性であった。その後、ブラジルの小学校に入り、大学まで出たのだが、この女性だけはいまだに自然音を言語脳でとらえるという完全な日本型だった。
  
 逆に朝鮮人・韓国人はもともと西洋型なのだが、日本で日本語を母語として育った在日の人々は、完全な日本型になっている。
  
 こう考えると、西洋型か日本型かは人種の違いではなく、育った母語の違いである可能性が高い。「日本人の脳」というより、「日本語の脳」と言うべきだろう。角田教授の今までの調査では、日本語と同じパターンは世界でもポリネシア語でしか見つかっていない。
  
<後略>

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