日本人と縄文体質
281847 徳川幕府の無血革命(=大政奉還)をどう評するか?
 
田野健 HP ( 53 設計業 ) 13/10/03 AM01 【印刷用へ
薩長が武力倒幕路線に進むことを予期した慶喜は慶応3年(1867年)10月14日、政権返上を明治天皇に上奏し、翌日勅許された(大政奉還)。従来の通説的見解によれば、慶喜は当時の朝廷に行政能力が無いと判断し、列侯会議を主導する形での徳川政権存続を模索していたとされるが、慶喜は緊迫する政治情勢下で内乱の発生を深く懸念しており、大政奉還による政治体制の再編はその打開策であった。(ウィキペディア〜徳川慶喜よりリンク

この大政奉還という政治方針に当時の江戸の諸藩は驚き、意表をつかれたという。その本意は現代まで諸説が並列し決着を見なかった。
なぜならば、徳川は武力も資金力も国内では圧倒的に超越しており、いざとなれば薩長と一線を交えて押し切る事もできた。大政奉還とは文字通り徳川が政治の決定機関から降りる事であり、圧倒的な権力を手放す事になる。世界の歴史の常識ではこのような局面で必ず新勢力と旧勢力(徳川)との間で戦乱が起き、武力で勝った政権が立ち上がる事になっている。現在のような破壊的な武力が戦争の抑止力となっている時代とは異なり、まだ武力そのものがが制覇力となりえた時代である。それでも徳川は上記のように内乱を懸念し自ら一線から退く選択をした。この本意を江戸時代260年の流れから紐解いてみた。

江戸時代とは国内的には極めて安定した260年間であったが世界を見渡すと大航海時代から産業革命、さらに中央銀行による金貸し支配が始まる欧米を中心とした大激動の略奪社会が横行した時代に当たる。現在の金貸し最大勢力であるロックフェラーは国を左右する一大勢力に成長していった。

そんな中、江戸時代最大の特徴とする政策は「鎖国」である。既に秀吉の臣下の頃からキリスト教布教の西洋の意図を植民地政策と見抜いていた家康初め徳川一門は徹底的にキリスト教排除を推し進める。この政策の凄いところは、それを見抜いてここまで徹底したのは徳川幕府が最初で最後であるという事だ。当時のキリスト教植民地化の戦略は表向きは信仰拡大という形で忍び込み、やがて信者を拡大し、国内で体制への反分子を組織化支援し、それを足掛かりに内乱、政権の転覆を図り、乱れたところを武力で支配するという手法だった。東南アジアや中国、中南米の途上国は全てこの手法で取りこまれていった。
対外的には「鎖国」で門戸を閉め、国内的には各藩の自給力を高め自国の力で繁栄を極めた、それが大きくは江戸時代である。

しかし幕末に徳川幕府を揺さぶったのは金貸しと、金貸しが作り上げた資本力で支えられた強大な武力だった。既に世界の列強(イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、ロシア)は植民地から略奪して積み上げた経済力にモノを言わせ、強大な武力を備えていた。徳川幕府率いる日本にとってそれだけでも脅威だったが、加えて金貸しが試みた植民地戦略である。これはかつてのキリスト教植民地政策と相似のものだった。以下の手法である。
金貸しが作り上げた驚異的な武力国家がまずは脅す。国家の政権勢力は金貸しから金を借りるか、組み込まれるかの選択に迫れる。同時に金貸しは国内の反対勢力に優先的に融資し、武器を売り込む。やがて、国内で力が拮抗し内乱が勃発する。既に金貸しに実権を握られた反対勢力が政権を執り、その後は金貸し支配の下、半植民地として吸い取られていく。

江戸晩期には薩長がその策略にはまり、倒幕勢力にまで昇りつめた。
徳川の大政奉還とはそういう中で実施されたのだ。既にフランスから240万ドルの融資を受けてはいたが、15代慶喜は薩長が勢力を付けていく過程のどこかで金貸しの真意に気がついた。「国内の内乱を引き起こし、最後は西洋の金貸し勢力がこの国を手中にする」と。大政奉還を施行する前には徳川と薩長との間で話し合いが持たれ、金貸しの真意を理解し「江戸城の無血開城」を合意したという。大政奉還によって日本の植民地化は回避されたのだ。
そういう意味では最後に徳川が執った戦争を回避する政策=大政奉還は正しい選択であり、この時代諸外国のどこも執らなかった画期的戦略だったと評する事ができる。
金貸し勢力もまさかこの手があるとは・・・と地団駄を踏んだに違いない。

徳川幕府は江戸時代を通じて「鎖国」「大政奉還」と2度の植民地化の危機を救った。
 
 
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