人類の起源と人類の拡散
280944 南方モンゴロイドの文化
 
佐藤晴彦 ( 55 会社員 ) 13/09/15 AM01 【印刷用へ
南方モンゴロイドの性習俗に続き、南方モンゴロイドの文化をまとめてみました。

南方モンゴロイドの祖先は、アフリカから東方へ向い、東南アジアのスンダランドに長く留まります。ここで南方適応し、その形質を固めてゆく。したがって、この地に留まったモンゴロイド(南方モンゴロイド)は海洋民としての文化を育ててゆくことになる。

また、1.4万年前から6千年前の温暖期には、極地の氷床が溶け出したことでスンダランドの海没が始まり、南方モンゴロイドの一部は中国、およびモンゴル高原へと北上してゆく。
中国へ進出したモンゴロイド(=原中国人)はそこで母系性の稲作文化を開花させた。
モンゴル高原にまで進出したモンゴロイド(新モンゴロイド)は、騎馬民族となり、遊牧文化を発達させた。

その後、5000年前の寒冷化に伴ってのモンゴル高原のモンゴル族の南下、及び西の印欧語族に押されたチベット族の黄河及び長江上流から中国への進入に伴い、原中国人は母系から父系制に転換してゆきます。

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12/29なんでや劇場(4)〜新モンゴロイドの誕生と中国文明の起源
リンクより引用

● 中国初期の母系制農耕文化の担い手は原中国人(O1、O2)
モンゴル高原の新モンゴロイドO3が5500年前に南下する以前の中国は、原中国人(スンダランド発のO1、O2が主体の元海洋民)が母系の農耕文化を開花させていた。O型のうち、O1型は3万年前に南下してインドネシアに渡り、そこからフィリピン、台湾、中国へと移動した。O2型は3万年前に北上して長江流域へ進出した。このO1、O2型が2.1〜1.8万年前、1.3〜1.1万年前の寒冷期に中国に移動した中亜モンゴロイドC3を凌駕した。

長江流域では9000〜7800年前の彭頭山文化(稲の栽培跡)が興り、7000〜5200年前の河姆渡文化、大渓文化につながる。黄河中流域では8500〜7000年前の粟の耕作やブタの飼育を中心とした裴李崗文化及び後李文化が登場し、7000〜5000年前の仰韶文化、6300〜4600年前の大ブン口文化へとつながっていく。この時期には、新モンゴロイド(トルコ族、モンゴル族、ツングース族)も遊牧を営んでいたと考えられる。

●新モンゴロイドの南下とチベット族の侵入によって母系から父系へ転換
ところが、5500年前以降の寒冷化に伴って、新モンゴロイドO3(トルコ族、モンゴル族、ツングース族)が南下するのに加え、チベット族D型も移動してくる。黄河流域と長江流域で防御性の高い城堡が出現し、以降、中国は父系制に転換する。

チベット族(古代羌族)は、チベット高原のスンダ・モンゴロイドD型から派生し7000年前前後にはチベット高原東部の長江・メコン川最上流域に達していた(カロ遺跡)。それが、5500〜5000年前頃、寒冷化とタリム盆地からチベット高原に進出して来た印欧語族の遊牧部族に圧迫されて、黄河上流・長江上流から中国に侵入する。

5400〜4300年前にはツングース族が遼河流域に紅山文化を、5400〜4300年前にはモンゴル族が黄河下流に龍山文化を形成した。5000〜3800年前にはチベット族が黄河上流域で馬家窯文化、長江上流域では三星堆文化を形成。

本格的に新モンゴロイドO3が南下したのは5500年前寒冷化以降としても、それ以前に南下していた可能性もある。8200年前からの一時的な寒冷期もあって南下した部族の最先端は、農耕民と接触し農耕を始めたと考えられる。8200年前には遼河流域でツングース族と思われる興隆窪文化が登場し、7000年前頃には、ツングース系の扶余族が朝鮮半島北部に登場。6300年前からの大ブン口文化も最初はO1、O2の南方系だったが、地理的に見て6000年前以降にはツングースと混血していた可能性もある。

しかし、7000年前の段階ではツングースも朝鮮半島には入っていないことや、7000〜5000年前の仰韶文化が母系制であったことから考えても、この段階では、モンゴル族もせいぜい北京辺りまでしか来ていない、あるいは文化に影響を与えるほどの人数は入ってきていないと見るべきであろう。

このO3モンゴロイドはこの後、中国へ進出すると、ブタなど家畜由来の強力なウィルスに対する免疫機能を獲得した。このO3モンゴロイドは他(O1、O2やCやD)を徐々に駆逐し、制覇途上にある。現在、中国の華北ではO1、O2型はほぼ全滅状態で、O3に淘汰されてしまっている。現存する中国人は、華北では66%、華南でも33%、チベットでも33%がO3タイプである。(引用終わり)
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要するに、現在、一般に北方モンゴロイドと呼ばれているのは、もともとスンダランドに暮らしていた南方モンゴロイドであり、海洋民族であり、1.4万年前の温暖化によるスンダランド水没で、太平洋諸島へ拡散した人々がミクロネシア等にその文化を引きついでいる。

一方チベット高原を経てモンゴル高原へと移動した人々が、新モンゴロイド(O3タイプ)となり、騎馬文化、遊牧文化へと変わる。

一方、原中国人はスンダランドから南回りで移動した、母系制農耕民族のO1タイプ、O2タイプが主流だったが、寒冷化に伴う新モンゴロイド(O3タイプ)とチベット民族(Dタイプ)の移動で戦争が始まり、中原を中心に父系制の武力国家(父系制の農耕文化)が形成されていく。

その後南方に残っていた母系性の農耕民族が押されて後徐々に南下し、現在の東南アジア各国に進出するのに伴い、稲作技術も南下し、現在の東南アジア各国には農耕文化が根付いている。

よって、太平洋の諸島に残る南方民族は、かつての海洋文化を残す。
大陸に渡った南方モンゴロイドは母系性の農耕文化を保っている。
 
 
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【東南アジアにおける、南方モンゴロイド的社会とその可能性を探る】1−3南方モンゴロイドに共通する文化的な特徴 「共同体社会と人類婚姻史」 13/10/09 PM09
281190 カミ(神)やアメ(天)、マツル(祭る)などといった宗教用語が実はタミル語起源 mosimobox 13/09/19 AM00

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