日本人の起源(縄文・弥生・大和)
270474 江南の民は、水田という軛(くびき)によって被統治能力を高められていった民だった
 
橋口健一 HP ( 49 技術者 ) 12/11/11 AM02 【印刷用へ
縄文塾 中村忠之 縄文への道〜チャイナ文明とはなにか
リンク より引用します。
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(前略)
『コムギ社会に組み込まれたコメ社会』

 江南の地は、三国志の呉の国以来、まったく歴史の表舞台から引き下がるのだが、この豊かな地が、なぜもかくやすやすと各代王朝の統治の枠に組み込まれていったのか。

佐藤洋一郎『DNAが語る稲作文明』は、チャイナにおけるコムギ=黄河文明とコメ=長江文明との衝突と結果について、次のように推理する。

「 中国という大国一つを何百年もの間、大混乱に陥れたその原動力は、社会の構造そのものにかかわるような何かであるに違いない。
 
 それを北の黄河文明と南の長江文明との衝突にあったと考えてみよう。すると三国志に登場する戦乱は、単に政治的な衝突だけでなく、根底に文化的な対立をもつ構造的な衝突に基づくものだったということになる。 (中略) 春秋戦国時代の中国でも、かなりの数の難民が生地を追われたことであろう。 (中略) ことごとに迫害された長江文明とその文化要素の中で、稲と稲作とは不思議にも統一中国の中でも生き残る。 (中略)

 水田の稲作では、土地を平らにし、畦をつくるという大がかりな作業を必要とする。それは土木工事の知識と道具、さらには経験を必要とする。要するに、水田稲作を生産の主たる手段とするには、それなりの社会的投資を必要とするわけで、いったん完成させた生産の場を動かすのは容易なことではない。この性格は、社会を支配する側からみればずいぶん便利なものである。生産者を土地に縛りつけておけば、国家的管理はずっと楽である。(中略)

 そして東に拡散した一部は朝鮮半島を経由し、あるいは直接日本にも達し弥生時代の幕開けをもたらした。弥生時代の稲と稲作は、黄河文明に色づけされた稲と稲作である。」

 江南の民は、水田という軛(くびき)によって被統治能力(ガヴァナビリティ)を高められていった民だったことになる。このことは、弥生人がこの地から渡来して日本に水田稲作を伝えることによって、われわれの性状と社会の形成にも深く関わることになる。

 その一方で江南と言う地には、そうした枠組みに収まりきれない、あるいは政治的制約を嫌う人たちが多かったことも事実である。

彼らは商才に長け得意の船で長駆東南アジアに進出していく。いわゆる華僑と呼ばれる人たちである。江南の民は新天地を海外に求めて自由に雄飛していき、いまや世界中に彼ら華僑の姿を見ない国は見当たらない。こうした「コメ族」の姿に、決してチャイナの全体像を見ることは出来ない。かれらはつねに歴史に登場することなく、日の当らぬ場所にひっそりと、そのくせしたたかに暮らしてきたことになる。

 つまりこの国の中心になるのは、遊牧・騎馬族×アワ・コムギ族という、海との無縁の大多数の民であった。なにしろこの国は、その歴史を通じてほとんど海軍を持たなかった稀有の国柄であった。江南の民が海外に出ていったことは、決して(チャイナの)国策でも指令ではなく、追ってくる刃を逃れるためか、あるいは自発的意志によって自らの才能を頼りに国を捨てていった軌跡なのである。
(後略)
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上記の、弥生渡来民の出自である中国大陸の江南地方の社会構造と気質を読んで、以下の点が気付きであった。

・支配する側から見れば、水田稲作という生産様式は民をその土地に縛り付けて置くことができるので、いとも簡単に支配することができる。これは、日本の弥生時代に後からやってくる朝鮮系の渡来人に、先発の渡来人や縄文人が、いとも簡単に組み込まれた経過と同じ構造と考えられる。

・江南人の気質として、政治的制約を嫌う人たちが多いのが事実であれば、日本の弥生時代に後からやってくる朝鮮系の渡来人に反発して、西日本から東日本へ逃れ、水田稲作を放棄し陸稲に戻ることもあったのではないか。画一的な水稲よりも陸稲(や他の生産方法の併用)の方が多様性があり、いざという時に逃げやすい。

・呉、越の時代は明らかに私権社会であり、その社会に生きた民は当然、私権意識を持っている。戦いに敗れ落ち延びた民が大半だと思われるが、氏族の首長クラスと神官(や巫女)、兵士、稲作技術を持った農民で構成された、新天地を求め外へ打って出た小グループが渡来しただけでも、縄文人を支配する(=騙す)ことは容易だったと思われる。
 
 
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