日本を守るのに、右も左もない
262853 江戸時代には、農地の私有権は存在していなかった
 
今井勝行 ( 中年層 会社員 ) 12/04/09 PM00 【印刷用へ
「驕れる白人と闘うための日本近代史」松原久子 著者

第7章 「誰のものでもない農地」

江戸時代は鎖国されていたが、富は国民全体に分配され社会的な貧富の差は無かった。権力と影響力を持つ武士(サムライ)は概ね貧しかった。しかし、武士は知識欲が旺盛で時代に応じた対応性に於いても、発展してきた市場社会にも世界に例を見ない独自なやり方で発展させた。

また、インフラの整備、流通の整備、金融機関の整備等を構築させている。農民や町民は織物や農業技術を向上させ、しかも、誰もが読み各算盤が出来る学習欲に富んでいた。そんな江戸時代の農地の所有について日本の特徴を述べている。

【記事要約引用】
江戸時代の農地の所有権はについてヨーロッパと比較してみると、大きな違いであることが分かった。

ヨーロッパでは「農地改革」というと農地所有者から農地を奪とり、貧しい農民に分け与えると思い描く。したがって、土地所有者は政治権力者を利用して激しい抵抗をする。所有者と非所有者との間で激しい対立が生じ流血事件に至る。中国でも同様の事が起こっている。

日本の農地改革は開国後に行われているが全く違っていた。その理由は、鎖国時代の日本では、農地所有の問題はヨーロッパ、ロシア、中国と全く異なる方法で解決している。鎖国時代の土地所有者は幕府で大名は将軍から任された土地を管理するだけで、所有していなかった。武士もせいぜい自宅分のわずかな土地しか所有していなかった。

農民も農地の所有者ではなく、先祖から受け継いで耕作している農地は、売ることが出来ず、村社会の内部での貸借や賃貸し、一時預けが許されていただけである。形式的には農業に利用できる農地は全て村の所有であった。その土地が相続であれ、賃貸借であれ、使用権の形で委ねられているだけであった。

江戸時代の記録には、力をつけてきた農門が賃貸借契約で村の大半の農地使用権を得る事に対して、大名又は幕府はこれを禁じる命令が数多く記載されている。禁じる論拠として、一人の者が圧倒的に多くの農地を独占的に耕作すると、村という共同体内部に不満が生じてくることと、力の無い農民は益々やる気を失せて、トータルとして生産力が低下することを懸念していることが述べられている。

村では共同で用水路、水門等を作って、これらを共同で維持した。また、田畑の小道、橋、街道へのアクセスも作り、村が管理した。川や池の漁業権、海の漁業権も村が持っていた。

村落共同体は森林も管理し、森は各村に分配され、森から建築材を得たり薪や木炭の燃料や、木の葉から肥料を作ることが出来た。また埋め立てや開墾などで新しい農地拡張することも行っている。このような農地の獲得は大勢の農民が参加して大掛かりなプロジェクトで、多額に資金も必要としたが、大名、商人、神社・寺から資金を提供してもらい、最も多く提供したのが幕府であった。幕府の参入は大名や一部の者に幕府の管理範囲を超えて同盟を結ぶことを警戒して、積極的にプロジェクト資金を提供した。無償で労働力を提供した村は、貢献度に応じて報酬を与え、それを村で民主的に話し合いして分配した。

また出資者である、神社、寺、町人から幕府に至るまで、出資高に応じて農地の使用権を得る事が出来た。この使用権は農民に賃貸し何を栽培してもらかの指示も出来た。

鎖国時代の日本では、農地を所有していたのはだれか?

何時でも欲しい人に売却できる権利と定義するならば、実は誰も私有していなかったことになる。つまり、農地は売却できないものと理解されていた。農地は売却できないほど高いものであったからである。農地は全国民の食料の基盤であったから、全国民の生存は、農地の永続的かつ最大限に利用することにかかっていた。

幕府は農地の私有者が変わると食料の供給不安をもたらす事を懸念していた。そこで幕府は、農地の所有が営利的な関心の対象にならないように、あらゆる手立てを考えていたのである。但し、これは、農業と林業の為の土地についてのみ幕府の基本政策だった。その理由は、幕府は商人や手工業者には、商行為や投機などの自由な経済活動を許していたからである。

農業、林業に使用されない土地は全て、所有物であり需要と供給の市場原理に委ねられた。例えば、都市部や町の住居、手工業の作業場、倉庫、事務所、店舗などに使用される土地で、売買も可能であったが、価格は非常に高額であった。高額であるためあまり手放す人は少なかった。

真の大地主は幕府で将軍一族で日本の全農地に1/4以上所有していた。これが幕府の権力の基盤となっていた。この農地から上納される税収入によって、幕府の全てに歳出が賄われた。もちろん幕府は膨大な農地を一切売却する意志は無かった。天皇家も幾ばくかの土地を所有し宮中を維持できる程度であった。幕府の統治下では天皇も農地売却は出来ない状態であったが、むしろ売却に関心が無かったらしい。神社や寺も財政的に豊かになり過ぎて、幕府からの監視が強く売却は出来なかった。

結局、国家(幕府)だけが大地主であったのである。
 
 
 
 この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_262853

  [戻る]  


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、46年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp