日本人と縄文体質
258848 ブータンの民と日本人というのは、遠い遠い親戚なのではないかA
 
新聞会 11/11/20 PM02 【印刷用へ
引き続きねずきちの ひとりごとリンクより転載します。
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昭和46(1971)年、西岡は、この高地で、米作りに挑戦します。

日本では田植えというと、縦と横を一定間隔で植える並木植えがあたりまえの習慣ですが、当時のブータンでは、勝手気ままな植え方をしていました。

これだと手押しの除草機が使えない。
苗の苗との間の風通しも悪い。
当然生育も悪い。

西岡は、村人たちと再三、並木植えについて相談を持ちかけるのだけれど、
「ワシら、昔からこうやってきた」と、とりあってくれません。

ようやく「やってみよう!」といってくれる農家が現れたのだけれど、もし、並木植えで収穫量が上がらなければ、西岡の信頼は一気に失われます。

西岡は祈るような気持ちで、稲の生育を見守りました。


結果・・・・・


並木植えの田は、従来型の雑多な植え方の田と比べて、なんと40%もの増産!!

村人達は、驚き、喜び、バロ盆地では、数年のうちに約半数が、西岡が持ち込んだ並木植え栽培をはじめます。
この農法はいまではブータンに広く普及し、ブータン王国の8割の田が、並木植えになっている。

1970年、西岡は、国王の命によって、シェムガン県の開発に従事します。

この地は、貧しいブータンの中でも最貧地区・・・というより極貧地区です。
焼畑農業が営まれ、収穫量が下がると人々は別な土地に移動します。
西岡は、ここに10人のスタッフとともに乗り込んだ。

しかし、いきなり「よそ」からやってきた西岡の言うことなど、誰も聴きません。
成功する保証などないのです。

ただでさえ貧しい。ようやっと食べている。
先祖伝来の農法を変えることで、万一、収穫が落ちたら、村人たちは飢え死にしてしまうのです。

西岡の村人たちとの話し合いは、なんと800回に及びます。
西岡は根気強く村人たちを説得した。

西岡はこのとき、無理に近代化を行うのではなく、あくまで彼らの「身の丈にあった開発」を進めます。

いたずらに巨額の開発費用をかけて、たとえば水田に水を引くのにも、重機を用いて水を汲み上げるのではなく、竹などの自然のものを利用して水路を確保した。

また、木でできたアブナイ吊り橋を、いきなりコンクリート製の近代的橋に掛け替えたりはせず、耐久性のすぐれたワイヤーロープを使って、吊り橋を直した。

こうして西岡は、360本もの水路を完成させ、17本の壊れかけて危険だった吊り橋を掛け替えます。
村人たちと一緒に作った道路は、なんと300kmにも達した。

そして村人たちと共同で、60ヘクタールもの広大な水田を作った。
西岡が来る前までの水田は1〜2ヘクタールです。50倍の規模です。

同じ人数、同じ労働力、同じ土地で、焼畑農業で農地を転々とさせるのではなく、水路を引き、道を作り、橋を架け、広大な定置農地を確保したのです。

その広大な農地に、満面の稲が稔ります。
ものすごい収穫高です。

極貧地区は、またたく間に生活が安定します。
子どもたちが喜ぶ学校もできます。
診療所もできた。
村人たちは、定住することができるようになり、生活も安定します。

西岡たちが村を去る日、集まった全員の村人たちは、
「はじめに西岡さんが言ってくれた通りになった」と、涙を流しながら西岡たち一行を見送ったといいます。


昭和55(1980)年、西岡は長年のブータン農業への貢献を評価され、国王から「ダショー」の称号を受けました。

「ダショー」というのは、ブータン語で「最高に優れた人」という意味です。
この位は、最高裁の判事クラスしかもらえない称号です。
ブータンでは最も栄誉ある顕彰です。

このとき西岡、47歳。
ブータンに来てから16年の歳月が経ってのことでした。
そしてその後も12年、西岡はブータンにとどまります。

平成4(1992)年3月21日、子供の教育のために日本に帰国していた妻・里子のもとに、電話がはいりました。
電話はブータンからの国際電話でした。

「ダショー・ニシオカが亡くなりました・・・」
突然の訃報に動転しながらも、
「葬式はどうなさいますか」との質問に、里子はとっさに
「バロでお願いします。ブータン式の葬式でお願いします」と答えました。

ブータンで28年間、ブータン人になりきってブータンのために生き、ブータンのために死んだ夫です。
夫は、きっとそう願っているに違いないと、彼女は確信していたのです。

ダショー・西岡の葬儀は、妻と娘の到着を待って、同月26日に行われました。
それは、農業大臣が葬儀委員長を務める国葬でした。

ラマの僧侶の読経が山々にこだまします。
葬儀には、西岡を慕う5千人もの人々が、ブータン全土から集まりました。

ブータンは、国をあげて西岡に感謝の心を捧げてくれたのです。

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この度、来日されたブータン国王は、ダショー西岡当時の国王の子です。
先代の国王もそうだし、いまの国王もそうだけれど、日本人とみまごうばかりのお顔立ちをされています。

そういえば、民族衣装も、どことなく日本の昔の民族衣装と似ていませんか?

実は、非常に不思議なことなのだけれど、支那の辺境に住む少数民族、カザフスタンや、ウズベクスタンのような中央アジアの諸国など、顔立ちや民族衣装が、なんだか大昔の日本、もっといえば、縄文時代の日本人の一般的衣装と同じような色柄デザインと、ほんとうにそっくりなのです。

DNAの解析の詳しい資料がないので、実際のところはわからいのだけれど、顔立ちからしても、どことなく日本人と同じ顔立ちをしている。

もともと日本人というのは、いまから1万8000年ほど前、地球気温が急激に寒冷化した際に、シベリアのバイカル湖付近にいたモンゴロイドが南下したものだと言われています。

寒冷化によって北極や南極の氷が増え、その分、海水面が、いまより140メートルほど低くなった。
このため、シベリアと樺太、北海道、本州、四国、九州が陸続きとなった。

もっというと、千島列島から、ベーリング海峡をはさんで、アメリカ大陸とユーラシア大陸も陸続きとなっていました。

急激な寒冷化によって、バイカル湖付近を離れたモンゴロイドたちは、一部はベーリング海峡を渡って、アメリカインデアン、南米のインディオとなり、また一部は、樺太から北海道を経由して日本に移り住んだ。
またある者は、支那の揚子江の流域に住み着き、ある者は西へと向かい、中央アジアに移り住んだ。

共通しているものがあるのです。
モンゴロイドであるとうことだけでなく、顔立ちや民族衣装が、日本の縄文時代のものと酷似している。

要するに何がいいたいのかというと、ブータンの民と日本人というのは、遠い遠い親戚なのではないかと思える、ということです。

ブータンといえば、国民総幸福量(GNH)という概念が有名ですが、この概念は普通の日本人なら、なんとなくピンとくる(共感できる)ものなのではないでしょうか。
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以上です。
 
 
 
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