実現論を塗り重ねてゆく
248820 夏・殷・周 王朝の特徴と、思想
 
たっぴ ( 35 会社員 ) 11/04/06 AM01 【印刷用へ
表題どおり、夏・殷・周 王朝の特徴と、思想を取り上げる。
以下の内容を読み取ると、夏・殷・周王朝のいずれも遊牧部族的色彩が強いように思われる。

以下、王朝史と系図(前史)
リンクより以下転載。

★中国の漢代の有名な歴史家・司馬遷は「史記」のなかで、中国の歴史を三皇五帝から始め、夏・殷・周・秦・漢王朝の歴史を記述している。

三皇五帝(中国史上の伝説の帝王)のうち三皇は伏羲(ふくぎ、漁労の発明者)・神農(農業の発明者)・燧人(すいじん、火食の発明者)の三人の神をさし、この三皇に続いて五帝について記述している。

 五帝は黄帝(漢民族の祖先)・せんぎょく(黄帝の孫)・帝こく(黄帝の曾孫)・尭・舜で、特に尭・舜は理想の聖君主とされ、尭・舜の世は理想的な政治が行われた時代と讃えられた。尭は舜に位を譲り、舜は黄河の治水に功のあった禹に位を譲ったとされている。 禹は黄河の治水に成功して、舜から譲位されて帝位について夏王朝を創始した。

★夏王朝は以後17代450年間続いたが、暴君桀(けつ、殷の紂とならんで暴虐な君主の代名詞となる)があらわれ「酒池肉林」にふけり、暴政を行ったので【殷の湯王】に滅ぼされたと司馬遷の「史記」には書かれているが現在のところ実在を証明する遺跡等は発見されていない。

現在の段階では伝説上の王朝ということになるが、将来実在を証明する遺跡等が発見される可能性はあると思われる。

従って現在確認できる中国最古の王朝は殷である。しかしその殷の実在が証明されるようになったのは20世紀に入ってからである。

(中略)

羅振玉・王国維は辛亥革命(1911)後、京都に亡命し、京都大学の学者らと共に甲骨文字の研究・解読をすすめ、1913年に甲骨文字の解釈に関する本を出版した。発見された約3000の甲骨文字の半数近くが彼らによって解読された。

★その中で羅氏は甲骨に刻まれた王の名が、司馬遷の「史記」などに残っている殷の系図に出てくる王の名とほぼ一致していること、小屯村が殷の末期の都であることなどを論証した。

★1928年から1937年にかけて殷墟(河南省安陽県小屯村を中心とした殷の都の跡で殷の時代には「大邑商」(大きな町、商)と呼ばれていた)の大発掘が中央研究院によって15回行われ、世界中の注目を集めた。しかし1937年日中戦争の勃発にともない、戦場となったために発掘はすべて中止された。

★殷墟の発掘により宮殿跡の周辺から竪穴式の住居跡、大小1000以上の陵墓をはじめ、甲骨・青銅器・象牙細工・白陶・子安貝(東南アジア産の貝で貨幣として使用された)・鼈甲などが多数出土した。なかでも殷王の墓とされる大型の地下墳墓は約10メートルの地下に掘り下げて作られており、19メートルと14メートルの長方形で、中央に王の棺がその周辺に青銅器、武器、武具が埋められていたが、特に人々を驚かしたのは【数100人もの殉死者】であった。

 殷王朝は伝説では夏を滅ぼした湯王から30代続き、紂王(ちゅうおう)の時に周に滅ぼされたとなっている。しかし、前半の歴史は不明で、第19代の盤庚(ばんこう)(殷墟に都を移した王)以後の250年間の歴史が発掘によって究明されている。

王位は初めは兄弟相続であったが後に父子相続に変わったこと、殷王は政治・軍事・農業など 国事をすべて占卜によって決定する【神権政治】を行ったことなどが分かっている。

★殷の王は黄河中流域の諸都市国家連合の盟主として黄河流域を支配したが、次第に専制的となった。最後の紂王は妲己(だつき)という美女を寵愛し、人民から重税を取り立て、宮殿を造営し、広い庭を造営して酒池肉林、連日宴をはり、人民を苦しめた。

その頃、西方の陜西省で勢力を持ってきた【周の武王】が、殷の支配に不満を持つ諸部族と連合して牧野(ぼくや)の戦いで紂王をうち破った。敗れた紂王は自殺し、約500年続いた殷はついに滅亡する。

 殷の文化を代表するのは高度な青銅器である。青銅器は当時とても貴重なものであったので 主に祭器や武器に使用された。殷の青銅器はとても精巧なもので、とても3000年も前に作られたとは思えないほどで、当時の技術の高さが想像できる。 殷は農業を主としているが、農具には貴重な青銅器は使用されず、まだ石器や木器が使われていたので生産力は低かった。

★殷の後半の都は「商」と呼ばれていたが、殷の滅亡後「商」の住民は各地に離散した。そして土地を持たない彼らは物を売買する事で生計を立てる者が多かった。そのため「商」の人々が物を商う人、すなわち商人と呼ばれるようになったと言われている。

引き続き、考古用語辞典より抜粋転載。
リンク

まだ確認されていない【夏王朝】の性格は不明だが、
【殷王朝】は祭祀におびただしい禽獣を犠牲にささげ、そればかりか人間を殺して供えているところをみると、遊牧民的な色彩もあったようだ。
(中略)
殷墟から出土した甲骨片の文字によって、殷の滅亡は紀元前一〇二八年ごろであったことが判明している。周の文王、武王、太公望といった役者がそろい、殷にかわる新しい王朝が成立した。

【周】は后稜の子孫と称している。后稜とは「農業神」だから、【農業国】であったといえる。周の首長は殷代では西伯と呼ばれていて、殷の西方の大名で、朝貢関係があり、殷の先進文化をとりいれ、次第に強大になったようだ。

★周は要地に同族と親縁のある氏族を首長とする植民都市国家をつくった。これがいわゆる「封建」であった。

青銅器時代にはいって、生産力が高まり、人口が増え、人間の活動する地域が広がったので、それに対応したのである。

「殷周革命」という言葉があるように、殷と周との政権交替によって、大きな変化がもたらされた。

思想面でいうと、
【殷】は鬼神を信じ、天命は人間の力ではどうしようもなく、ただ占卜によって天意を知り、それに従うだけだと考えていた。

【周】は人間の努力によって、天命はある程度改善できると考えていた。周は人間主義であったといえる。周の制度をつくった周公を、孔子は尊敬してやまなかったが、★「儒」の基本にはこの人間主義があったのだ。

すこし誇張していえば、中国は鬼神の支配する国から、人間が支配する国になり、生活におどろおどろしさが薄れ、住みやすい雰囲気になったといえる。

ただし、青銅器をみると、周はついに殷をこえることはなかったといわざるをえない。どうやら殷人は芸術的にすぐれた集団であったようで、躍動する造型美は、周人の追随を許さないものがある。
 
 
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