採集・漁撈・狩猟から栽培・牧畜・遊牧へ
247679 中国は西方文化の影響を既に8000年前から受けている〜中国の原点は西方にあり
 
田野健 HP ( 50 設計業 ) 11/03/22 AM03 【印刷用へ
農耕は約1万年前西アジアで起源があったとされている。牧畜もほぼ同時期であり、遊牧はそれからやや遅れるが牧畜の延長として発生した。

中国と西アジアは4000キロ以上離れており、間にヒマラヤを挟み非常に離れているが、この2つの文化圏は古代から密接に繋がっている。
それはおおよそ8000年前から始まっているとされ、その地域は黄河地域に限定されており、おそらくは粟や麦の農耕により定住する民が現れた頃と期を同じくしている。

黄河地域は1万年以上前には比較的温暖で雨量も多く旧石器時代の遺跡が多数発見されている。さらにその居住の歴史は20万年前の原人の頃から確認されており、森林地帯で狩猟、採取には適した地域であった。しかし黄河地域での遺跡は1万年前を最後に3000年間も発見されていない。この理由は気候変動と同時に黄砂が降り続いて砂漠化し、人も動物も生存できない環境に急激に変化したからではないかとされている。
しかし黄砂の特徴である砂と粘土の間のシルト層土壌は乾燥地帯でも保水性があり、肥料となる炭酸カルシウムを含み、年代が経てば黄土地域も肥沃な土地になる。その肥沃に変化した黄土に住みついたのが8000年前頃から始まる前黄河文明である。

西アジアの文化が中国東北部に伝わった根拠は下記に示すようにいくつもある。

1)動物を表記した彩陶土器が仰韶文化に見られ、それは既に8000年前以上にあったメソポタミア地域やその後中央アジア(アナウ文化5500年前〜)に広がった彩陶文化と酷似している。
2)女神像信仰が8000年前の興隆窪文化に発見され、その像はモンゴロイドの顔つきに青い目の石が入れ込まれ、西方のコーカソイドとの混血があったのではとされている。
3)蚕が6000年前には河ぼ渡遺跡の象牙製品へ刻まれた絵から確認されており、ネパールから運ばれてきたとされている。絹織物についても5500年前に発見され、同様の経路を辿っている。
4)玉器は黄河文明、長江文明とも中国の各所で見られるが、中央アジアにも同様の文化がある。
5)後世の道ではあるが、カスピ海南岸からタリム盆地、コビ砂漠南を通じて黄河中流域にたどり着く草原の古道があり、既に8000年前にはこの経路の人の流れが存在していた可能性が高い。ユーラシア大陸は山が険しく南北には移動が難しいが、東西には唯一この高原の道を通って人や物が古代から移動してきたのではないか。
6)現在の中央アジアに住むコーカソイド種族の幼児はアジアの血を受けたとする蒙古班が認められ、相当古くからこの古道を通じてコーカソイドとモンゴロイドの混血が進んでいた事が伺える。
7)中国人が用いる漢語は日本語を含むアルタイ語と語順が異なり、「主語、動詞、、目的語」になる。さらには発声も異なり、日本語が語りが中心で喉で発生するのに対して、漢語は鼻腔に反響させ発声する。それは漢族の多い北部ほど顕著である。
8)8000年前の仰韶人の埋葬方法は全て頭を西に向けて埋葬されている。黄河下流域の後李文化以降、龍山文化まで、長江下流域の河ぼ渡文化などの人が東に頭を向けて埋葬されていたのと対照的であり、死者の頭の方位は多くの場合、祖先の原住地の方向に向けられるという法則と合致する。

これら中央アジア草原の終着点である黄河中流域の民族が西方民族の影響を強く受け、言語や文化がほぼ同等になるまで同質化していることを示している。
中国が東洋にありながら、非常に西洋と似た文化や考え方を現在も持ち続けている最大の根拠がこの古代から繋がるコーカソイドとの文化的、血縁的連続性ではないか。またその起源が西方から遠路移動してきた遊牧民である事はほぼ明らかであり、彼らがようやく辿りついた肥沃な大地、黄河で遊牧を終えて牧畜から農耕へ転じたのが黄河文明なのであろう。

しかし中国を単に西方からの文化的連続といえない複雑さが黄河文明の南に同時期に存在した長江文明の存在である。長江文明を征圧し、一部は取り込みながらその後の中国の歴史は形成されていく。中華思想の必要もそこから来ているのではないか?次回はそこを扱ってみたい。

参考図書 鳥越憲三郎「古代中国と倭族」
 
 
  この記事は 247019 に対する返信です。
 この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_247679

 この記事に対する返信とトラックバック
251144 【中国】略奪闘争前夜(夏王朝以前)、すでに遊牧民族の流入(遊牧⇒農耕への転換)があった 匿名希望 11/05/10 AM10
251137 【中国】都城の出現 いいじゃん☆ 11/05/10 AM01
248206 古代中国と倭族1:5500年前の紅山文化はコーカソイドとモンゴロイドの混血文明 山澤貴志 11/03/29 PM04
248196 長江文明は東アジアの基層文明である@ 田野健 11/03/29 PM00

  [戻る]  


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp