実現論を塗り重ねてゆく
241079 殷の支配氏族は遊牧部族だった その1
 
新川啓一 ( 40代後半 建築家 ) 10/11/22 AM00 【印刷用へ
古代中国、殷から周の時代の農村の実態、民衆の生活は共同体的なものであったようですがリンク、支配氏族は遊牧部族てあり、2層構造になっていたようです。


NKブログの記事
「日本史についての雑文その148 氏族社会」
リンク
からの引用です。

(以下引用)

ではその「中原」の周囲に居住していた「夷」がどういった民族集団であったのかというと、まず「東夷」というのは黄河下流域の湿地帯に住む民族で、旧モンゴロイド系の海洋民でした。そして「南蛮」というのは長江の流域やシナ南部に住む民族で、旧モンゴロイド系の農耕民や海洋民や河川の交易民でした。
この「東夷」や「南蛮」は基本的には同じ系統の民族集団といっていいでしょう。だいたいは太陽や鳥や大蛇をトーテムとして船を航行する術に長け、稲作を行う旧モンゴロイドで、起源は南方のスンダランドであり、つまり縄文時代の最初に日本列島に渡ってきた旧モンゴロイドと根っこが同じというわけです。

また、「北狄」は黄河北岸の内モンゴルやゴビ砂漠方面に住む民族で、新モンゴロイド系の遊牧民や狩猟民でツングース族、モンゴル族、トルコ族などに分かれていました。この「北狄」の遥か祖先にあたる新モンゴロイド、特にその中でもツングース系に連なる系譜の人達は2万年前〜1万4千年前にかけて日本列島に渡ってきた新モンゴロイドに近しい血筋であったといえます。

そして「西戎」はオルドスや黄河上流域方面に住む民族で、新モンゴロイド系のチベット族やコーカソイド系のイラン族で、遊牧民でした。イラン族、つまりアーリア人はもともと西アジアに居住していたコーカソイドの遊牧民でしたが、西アジアの都市文明が戦車や馬車の発明によって巨大帝国を作るようになった紀元前2000年頃に押し出されるように東方へ移動を開始し、中央アジアを経由してイラン方面とインド方面へ移住していきましたが、この時、南下せずに更に東進し黄河上流域まで達して、中には新モンゴロイドの遊牧民と混血した集団もいたようです。

これらの東西南北の夷たちのうちの一部には、中原に移住して都市国家の周りで農耕に従事して中華の民となる集団もいました。例えばおそらく西戎の一派であったイラン系の集団によって西アジアの戦車や馬車などは伝えられたのでしょう。

こうした夷の地域に四囲を囲まれて、夷の種族が混交した人達によって黄河中流域に中原が形成されるようになりました。ここでは、もともと都市国家の周囲の現地民の酋長が作った小王国が「邑」となり、それぞれの邑を支配する現地部族はそれぞれの「氏」を名乗り「氏族」を構成しました。

もともと同一の起源を持つ大きな血縁集団である部族は共通の「姓」を名乗っていたのですが、同じ部族でも居住地ごとに違う「氏」を名乗るようになり、氏族に分かれるようになっていったのです。1つの邑につき1つの氏族が治めていたということになり、それぞれの邑ではそこを治める氏族の祖先の祭祀が行われていたようで、祖先崇拝が重んじられたようです。

この邑が幾つも集まって都市国家に属して、都市国家の王の支配する王国を形成していました。この邑の中には、中華の民となった夷の氏族の支配する邑もあったでありましょうし、また、中華化した夷の氏族の支配する都市国家や王国も存在したでしょう。
これらの邑を支配する氏族が都市国家の王の支配を受け、都市国家に租を納めて労役や兵役を提供していたのです。つまり都市国家やそれを中核とした王国を支えていた基本単位は氏族だったのです。初期の中原の社会はこうした氏族社会でした。

これらの氏族の中で特に力のある氏族や権威のある氏族が都市国家の王となり、都市と邑を束ねる王国の世襲の王族となっていったのです。この都市国家の王国ではその王族氏族の始祖が神として祀られていました。大地母神と結婚した氏族の祖神の子孫が現在の王族であるということです。神の子孫である故に王には権威があるのでありその支配には正統性があるのであり、それ故に都市国家や氏族社会では祖先祭祀が絶対であったのです。このそれぞれの氏族の始祖神がそれぞれ「帝」と呼ばれて崇拝されていたのです。この「帝」は神とはいっても絶対神的なものではなく、氏族の守護神的な存在でした。

こうした王国が黄河中流域の中原ゾーンに数百集まり、これらの王国の連合体の盟主として特に有力な王国の王が選ばれて「天子」として推戴されるようになり、各国の王は「諸侯」として天子を盟主と仰ぐようになりました。これが王朝の始まりです。

(続く)
 
 
 
 この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_241079

 この記事に対する返信とトラックバック
241366 モンゴロイドとは?(1) Rivet16 10/11/28 AM08
241080 殷の支配氏族は遊牧部族だった その2 新川啓一 10/11/22 AM00

  [戻る]  


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp