実現論を塗り重ねてゆく
241062 中国 夏の起源と母系性から父系性への転換
 
西村真治 ( 44 建築設計 ) 10/11/21 PM06 【印刷用へ
中国の最古の王朝とされる“夏”の起源 と
母系性から父系性への転換 及び
その民族・部族の出自に関する記述
が“ウィキペディア”にまとまっていたので転載します。

父系性への転換は、殷や周の時代ではなく、龍山文化の頃=夏王朝の頃に、すでに起こっていたようです。

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ウィキペディアリンク より

このミャオ族と夏の建国に関する伝説に就いては、他の史書での記載と対応させると、以下の様になる[3]。

●紀元前26世紀頃、神農時代、華夏の君主・黄帝が蚩尤(『路史』によると羌が姓とされる)民族の討伐作戦を行い、タク鹿で破った。戦いは黄河の台地で行われた。蚩尤は濃霧を起こして華夏軍を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示し、蚩尤民族を破った。此の時、他に蚩尤に味方したのは勇敢で戦の上手い九黎族[4]、巨体の夸父族だった。敗れた蚩尤民族はミャオ族と黎族に分裂した。ミャオ族は四散した。一部は周代に華夏民族と同化し、一部の部族は春秋の強国である楚や呉の建国に関わった。中国では楚は異民族の国とされている。六朝時代に揚子江南部を支配していた南朝は北方民族の侵入に苦しめられており、あまりミャオ族を歓迎しなかったが、五胡による揚子江北部の破壊により、ミャオ族が大量に南朝の領域に入ってきた。漢民族と同化する事も有った。

●先秦時代、苗族は、苗民、尤苗(ヨウミャオ)、三苗(サンミャオ)と呼ばれ、揚子江流域に住んでいた。長江文明に属すると見られる三苗は屈家嶺文化及び石家河文化付近を本拠地としていたと見られる[5]。三苗は母系集団であり、黄河流域の中原に依拠した父系集団の龍山文化と対立した。此の龍山文化集団が夏王朝に繋がる遊牧民族的な父系集団と見られる。中原地域は黄帝と炎帝の活躍した地域で、炎黄集団は仰韶文化後期に一度衰退し、龍山文化期に復興し三苗民族を征服した後、夏王朝を興す。長江中流域の屈家嶺文化(紀元前3000年 - 紀元前2500年)・下流域の良渚文化(紀元前3300年 - 紀元前2200年)の時代を最盛期として、後は衰退し、中流域では黄河流域の二里頭文化(紀元前2100年頃 - 紀元前1500年頃)が移植されている。これらは黄河流域の人々により征服された結果と考えられ、黄帝の三苗征服伝説は、黄河文明と長江文明の勢力争いを描いたものと考えられる[6]。

(中略)

名称・呼称
古代中国の史書では洛陽盆地から見た非中国人を夷狄戎蛮とするが、これはそれぞれの方角の住居地による呼称である。南蛮は河南省西部・四川省東部・湖北省・湖南省西部の焼畑農耕民を指し、西戎は甘粛省南部などの遊牧民、北狄は山西高原や内蒙古の狩猟民を指し(この地域は古くは森であった)、東夷は黄河や淮河のデルタ地帯の農耕漁労民を指す。岡田は史記での記述や夏人伝承の分布地などから、また史書に記述される夏人が龍を祖先神とする事などから、東夷を夏人とし、水上民族であったのではないかとする[12]。

又「夷」は「弓」と「大」を合成したもので、音を「てい」とする「低」「底」などの文字と類似文字であり、「低地人」を意味するとした上で、中原へ北方高原からの「狄(てき)」が侵攻し、夏を滅ぼし殷を建てたとする。『史記・殷本紀』に依れば、殷の高祖母神は簡狄(かんてき)といい、有滅氏つまり戎、草原遊牧民であった[13]。

(以上、転載終わり)
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ウキィペディアリンクより抜粋
龍山文化

龍山文化の前期は紀元前3000年から紀元前2600年ごろで、紀元前2600年ごろから紀元前2000年ごろが後期とされている。

動物の肩胛骨を使った占いや巫術も始まっており、宗教も出現していたとみられる。農業などの発達により、社会の生産に余剰が生まれ、私有財産が出現し社会の階層化が進み、父権制社会や階級社会が誕生した。
(抜粋、終わり)
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