日本人と縄文体質
234446 日本人の思考〜自然との同一視について その1
 
新川啓一 ( 40代後半 建築家 ) 10/07/10 AM00 【印刷用へ
西洋と東洋の思考の違いについて書かれた興味深い記事がありましたので、紹介したいと思います。

音に色が見える「共感覚者」の方のブログからの引用です。
『西洋的「自我」と東洋的「真我」2(星の命、花の心)』
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《以下引用》
NHKの「爆問学問」という番組をいつも見ているが、京都大学での特集の回に、学生の前で爆笑問題の太田光氏が、「金星が自分の意志で太陽の周りを公転していないと誰が言えるか」、「僕は神を信じないけれども、金星が生きていることは信じる」といったことを述べたとき、エックス線天文学者をはじめ理系研究者のほとんどが「議論にならない」と言って、「生命」と「非生命」の間には確固たる断絶があるとの観点から終始太田氏の世界観全体に理解を示さなかった。このやり取りは非常に興味を持って見ていたのだが、僕は太田氏の世界観・宇宙観こそ、注目に値すると思った。太田氏をフォローした理系研究者は、最後の若いシステム生物学者だけだった。

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(5分00秒くらいから見ると良いでしょうが、金星の意志の話は、8分00秒から。)


この攻防は、一見すると、「主観と客観」、「非科学と科学」、「素人と玄人」といった議論に思えるが、そんな生易しいものではなく、根底にあるのは「太田氏の東洋的自我(真我)と科学者の西洋的自我」との攻防なのだという気がする。太田氏は、「自然科学というのも、結局は現代の科学者の主観が、偶然にも99%の健常者に当てはまったがゆえに客観的真理と見えているものに過ぎない」ということを言いたかったと思う。自然科学を否定しているのではない。自然科学も、近代以降の健常者の主観に過ぎない、ということだ。「自然科学は世界最大の宗教である」という僕の考え方と全く同じことを、テレビで堂々と言っている芸人がいるということに、いつも安堵と興味を覚えている。

僕が東大に通っていた頃、ある生物学の教授と会話していて、何かの拍子に、そばにいた女子学生が、「私は花には心があると思う」と発言した。そうしたら、その教授が、「花に心があるなんて言う女はバカだ」と、冗談半分、本気半分というニュアンスで返した。一瞬、悲壮感がただよったが、その空気の変化を感じていないのはその生物学者だけであるという現実に、何とも言えない寂しさを覚えた。

また、これもある東大の理系の学者から二年前の六月に相談されたことなのだが(印象深かったので時期も内容も完璧に覚えている)、「自分の3歳の子どもが、“泣”という漢字を見て、漢字が泣いていると言う。“泣”という漢字が“cry”を意味する記号であるというのがまだ分からず、“泣”自体が泣いている感じがする、と言う。うちの子どもは病気でしょうか。」というものだった。実に寂しい質問だと感じた。この学者も、先の生物学者も、自身の専門分野については驚異的な知識のもとに何時間でも語れる方である。しかし、「星が生きている」とか、「花に心がある」とか、「漢字や平仮名を見て、感情がある感じがする」と言う子どもを見ると、とたんに「病気」や「障害」を持っていると判断する。ご当人たちは本気でそれを信じており、「人間とそれ以外」、「生命と非生命」といった区別は絶対的なもので、それを疑う人は脳に問題があると見ている、というのがひしひしと伝わってきた。


自閉症者のテンプル・グランディンという女性の著書は、共感覚者の間でもよく知られている。『自閉症の才能開発』という本の中に、次のようなすばらしい箇所がある。僕がサイトやブログで主張しているのと同じことを言っている。

(引用始め)
 ある尊敬されている動物科学者が、動物は考えないと私に言ったとき、もしそれが本当なら、私には考える能力はないと結論づけなければならないと私は答えた。彼は絵で考えるということが想像できなかったし、それを真の思考と認めようともしなかった。言語で思考する人たちの多くが理解できない思考世界を私は持っている。動物に考える能力があることを信じない人たちは、だいたい言語で考え、視覚化スキルの貧しい人たちである。彼らは話し言葉の能力や連続的思考に優れているが、青写真を判読することはできない。
 動物はきっと映像や、においや、明かりや、音のパターンの記憶で考えるのだと思う。実のところ、私の思考パターンは、言語で考える人間たちのそれよりも、動物の思考パターンに似ている。動物に考える力があるのかどうかを議論すること自体が、私にとってはばかばかしく思える。
(引用終わり)

僕が接してきた性犯罪被害者女性・重度自閉症者・重度共感覚者の中には、「どこからどこまでが自分の体なのか」が分からなくなった人がいる。特に、性犯罪によって図らずも幼少期の共感覚が蘇った女性は、例えば、本を持っているとき、手と本とがつながってしまい、本の先っぽまで自分の肉体であると判断してしまう。多くの場合、本を読んだり手放したり、といった日常行動には支障がないので、すぐに「本は私の体ではない」と気付くのだが、花に触れているとき、机に頬杖をついているとき、風に吹かれているとき・・・など、「それらも自分である」、「それらに自我が流れ出ている」と感じてしまう。それと反対に、自分の体の部位なのに、それが花や机や風のほうに属していると認識する場合もある。特に性犯罪被害者女性では、物理的に花や物体に触れていない部位であっても、被害を受けた部位ならば、それが自分のものではないと感じられる場合がある。我々は手の指を広げたとき、指の間には空気があって、その空間は「自分ではない」「自我が及ばない」と認識するが、これらの性犯罪被害者女性は、被害を受けた身体部位にも全く同じように「無い」と判断を下す。

(その2に続く)
 
 
 
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