暴走する悪徳エリートの所業
225216 日本における現行の婚姻制度〜日本国憲法@
 
HHH 10/01/27 AM11 【印刷用へ
現在の婚姻制度がどのように法律で定められているのか?またその法律がどのようにしてつくられたのか?について詳しく分析しているHPから引用します。

まず、日本国憲法ではどのように定められているか?

オピニオン●家族の危機を救え(リンク第1章_家族とは何か)
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戦後日本の家族のあり方に最大の影響をもたらしているものーーそれは、日本国憲法である。日本国憲法は、戦後、GHQによって押しつけられた憲法である。その基本理念は欧米の価値観に基づいている。その理念の一つが、個人主義である。これは家族や国家より個人を重んじる考え方である。日本の社会に個人主義を植えつけること、それが日本を「民主化」することであり、同時に日本を弱体化することだった。

西洋近代の思想の一つである啓蒙主義は、17世紀イギリスのホッブス、ロックらによって展開された。彼らは、デカルトの要素還元主義の影響を受けていた。そのため、まるで幾何学的空間におかれた原子(アトム)のようなものとして、人間をイメージした。そして、抽象的なアトム的個人を、社会の構成要素と考えた。「個人主義」とは、原子(アトム)的な個人を、集団より先在する要素とし、個人を原理として、社会の構成を考える考え方である。個人性を社会性より優先する思想である。ホッブス・ロックらは、生命があり、家族がある個人という、具体的で現実的な人間をとらえそこなった。それとともに、社会における人間関係の基礎をなす家族関係の重要性を見失った。彼ら以後、西洋近代思想においては、親孝行とか夫婦の和というような家族的な道徳は、ほとんど論じられることがない。東アジアでは伝統的な家族道徳が道徳の根本とされ、実践されてきたのとは、全く対照的である。

 日本国憲法は、こうした西洋近代啓蒙思想が根底に置かれている。そして、この思想をさらに極端に推し進めた学説が普及した。すなわち、「個人の尊厳」を持って「個人主義の原理」とし、アトム化した個人を持って「人間社会における価値の根源」などと説明する宮沢俊義らの学説である。

 こうした極端な学説が出てくる原因は、日本国憲法にある。具体的に挙げれば、第24条である。この条項には婚姻に関する規定がある。すなわち第1項に「婚姻は、両性の合意のみによって成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とある。また第2項に「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と記されている。

 このように憲法に婚姻に関する規定が設けられているのは、世界的に見ても異例である。男女が恋愛をし、性的に結びつくことには、法律はいらない。その限りでは、私的な事柄であり、国家が介入すべきことではない。しかし、結婚した男女は、単なる同棲者ではなく、親や家族や親族・友人などの認知を得た関係となる。私的な男女関係が、ここで公認による公の関係となるのである。それは、結婚は夫婦の性的関係を維持する手段ではなく、家族を形成することが目的だからである。つまり、結婚とは、社会の基本単位である家族を形成するという公共性のある行為なのである。そこに、結婚を法律に定める必要があるわけである。そして家族の安定のために、婚姻の安定性を求める法律も定められる。それゆえ、憲法に規定する必要があるのは、婚姻よりも家族に関する規定である。

しかし、第24条は、個人の尊厳と両性の権利の平等を強調する一方、家族の大切さを規定していない。そこに大きな欠陥がある。条文には、夫婦と並んで家族を構成するもう一本の柱である、親子への言及がない。これは、生命と文化が、世代から世代へと継承されていくことを軽視している。憲法の全体に、世代間の縦のつながり、民族の歴史が断ち切られている。 

先進国の中ではイタリア憲法やドイツ基本法などには、家族に関する規定がある。それらの国法には、家族の権利、子供の教育の義務と権利、国家による家族・母性・子供の保護などを規定した例がある。そこには、家族は特別な社会であるから、特に保護されなければならないという考えが示されている。

Aへ続く
 
 
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