素人による創造
214466 「型」とは構造認識に他ならない
 
太刀川省治 ( 49 建築士 ) 09/09/06 PM04 【印刷用へ
 日本人の身体技法といっても、武術や芸能における本格的、専門的な世界の秘伝から、大衆全般に見られる共同体の中で伝え、守られてきた所作まで含めて対象は非常に広範である。

それらを伝達、共有、継承していくために「型」という概念が生み出された。

「型」といっても、ただ形をまねればよいのだろうか。
ファーストフード店でマニュアルどおりの応答をされても、全くありがたみを感じない。形だけを伝えることにたいした意義はないし、そんなものが何百年も伝承されるわけがない。形を伝えることが真意ではないはずだ。
さらに形は環境によって変化するし、変化すべきだろう。

「型」とは何か。
端的に言い換えると、「型」とは構造認識に他ならない。
反復練習によって「型」を習得するということは、構造認識を理解し体得するのと同じことなのだ。


再び、武術操身法・遊武会さんのHPリンクの中の「型を読む」〜構造を読み取る力(武術操身法・遊武会主宰 石田泰史)という文章リンクから一部引用です。
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【前略】

 結論から先に言うと、「型」とは特殊な身体運用の理論そのものであり、「形」とはその理論を各自の身体を通して表現した結果である。「型」は方程式の如く真理のみで構成されており、そこから派生した「形」には身体性などの違いによる個性が生まれるということになる。このことを誤解した指導者が、枝葉の部分ばかり整えようとしているのが、現代の型武道に多く見られる実態である。理論を踏まえた結果としての個性を認めようとしない姿勢は、武術としての本質を踏み外しているとしか言えない。同時に、「型」の踏襲なき個性は、本質を伴わない故に、武術的意義を認められないこということになる。日常の生活にあてはめると、「型」とはルールや規範といったものであり、それらの意味を充分に理解した上で遵守してこそ、個性の表現が許されるということである。

「型」というものをどのように捉えればよいかを、もう少し幅を広げて考えてみたい。

先述の通り「型」とは暗号である。居合術の「型」には想定というものがあり、一定の攻防が手順として決められている。その手順を、角度や高さ、速さ、視線など、決められた寸法の範囲で表現することによって第三者の評価を得られるのが、一般的な古流居合術の世界である。しかし本来想定や手順といったものは本質の部分を導き出す為に与えられた情報であると捉えるべきであろう。「型」について本当に考えなければならないのは、なぜその想定や手順を作る必要があったのかということである。

一輪車を与えられた者が、それを発展させオートバイにたどり着いたとしよう。後の人間がその結果としてのオートバイを与えられ、そこから一輪車まで正確に逆をたどれるかということを考えてみると、いかなる必然性がそのものを成り立たせているかということを求める難しさが想像できる。

機械的な物の構造を理解するということについては、分解してみるのが一番確かな方法であろう。各部品の関係性を観察し、分析が進めば設計図が描けるようになる。そうなって初めてその機械のメカニズムを知り、基本的な機能を成立させている本質の部分を感得できるのだ。車輪と動力の関わりがオートバイの機械的な本質であり、武術においてはそれが「型」の持つ意味となる。

「型」に秘められた本質が理解できれば、それをどのように再構築して表現するかは、各個人に委ねられるべきであろう。同じレシピに基づいて料理を作ったとしても、本人の意思に関係なく、鍋の大きさや火力の違いなど外的要因によって結果には必ず個性が生まれるものである。レシピという「型」は、近似値を再現するためにあるものであり、決してコピーを求めるためのマニュアルではない。鍋や火力といった諸条件は、即ち体格や身体性の差異として武術に当てはめることができる。

 先に「型」とは暗号であり情報であると述べたが、別の角度から見れば、それは「制約」であるとも言える。「型」の手順や想定は本質を導き出す為の制約であると位置付けると、その役割がはっきりとする。

 一つ一つの動きに意味があり、それらが渋滞なく連続することで流れが生まれるが、最初から一つの流れとして捉えると、本質がぼやけてしまい易い。できる限り短い動きのセンテンスを単位として明確に認識するほど、「型」は整い、身体上で理論化されるのだ。

世界的なバレエダンサーであるシルヴィ・ギエムが「クラシックの振り付けについて指導する際、『伝統だから』ということではなく、『何故そうするのか』を説明するべきである」という意味合いのことを言っていた。あれほどの突出した感性と身体能力の持ち主をして、一つ一つの動きに明確な意味付けを求めているのである。「型」の世界の深さと、そこに求め
るべき意義を感じることのできる言葉であったと思う。

【後略】
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214467 「型」=構造認識の習得には個性の排除が必要。 太刀川省治 09/09/06 PM04

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