古代市場と近代市場
213799 イスラム教の規範性と普遍性
 
橋口健一 HP ( 46 技術者 ) 09/08/28 AM11 【印刷用へ
>彼らの社会規範や生活規範を考えるに、「イスラム」とは(ユダヤ・キリスト教のような)倒錯観念的な宗教信仰ではなく、社会秩序・規範を重視する故の社会システム的思想に近いのだと思う。(213524

イスラム教は氏族共同体の日常規範である、と「なんでや劇場」で聞きました。イスラムの教えと氏族共同体との関係が、現在の世界金融支配に代わる社会統合のモデルとしてもっと研究されるべきだと説いているレポートの一部を紹介します。

「イスラームとグローバル・ガバナンス研究」リンクよりの抜粋引用
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(前略)
以下においては、イスラームの教えに依拠しながら、ガバナンス的な社会の統合の基礎に関わるいくつかの点について紹介してみたい。

1.中正の共同体
第1点目は、共同体の位置に関する問題である。至高なる御方は、次のように仰った。「このようにわれは、あなたがたを中正の共同体(ウンマ)とする」

共同体を中正にしたとは、イスラームの教えにおいては、その共同体に対していかなる極端も好まれないということである。富や権力が個人あるいは特定の組織や階層に集中しているような共同体は決して予定されていない。資本主義、共産主義、独裁、専制、全体主義などによる富や権力の偏りはこれにあたる。

権力の偏りを是正するモデルが礼拝にあるとすれば、富の偏りを均していくのがザカー(喜捨)である。イスラームの富の分配と資本主義および共産主義との違いは、稼いだ後に共同体のための自律的な還流がザカーによって構成員の義務として仕組まれていることである。資本主義は還流のシステムを持たないし、共産主義、あるいは社会主義は各人の能力に応じて稼ぐことを認めない。

グローバル・キャピタリズムは、営利追求のためであれば一国の金融市場の破壊も辞さない。恩恵にあずかれる一握りの国々と、餌食になるしかほかに道のない大多数の国々の間の富の偏在は広がる一方である。経済援助等も含めて富の還流のシステムは、恣意的であり、不十分だといわざるをえない。

「民主主義」は政治的権力の集中を防ぐ意味において有効性を持つ。その限りにおいてイスラームに通じるところがある。しかしながら、利己的で排他的な個人による衆愚的な民主主義は、人民に与えられた権利が自らの現世的な利益のためにしか使われないという一種の極端である。したがって、イスラームはこれを受け入れることはできない。

2.権利と義務のバランス

第2点目は、共同体の内的関係の基礎に関する問題である。西欧近代の法体系が、権利の体系を骨格として構築されているのに対して、イスラーム法は、義務の体系をその基礎としているといえる。(中略)

いわゆる西欧近代文明が、ここ2世紀の間行なってきたことも、権利の体系の樹立であった。権利の主張のみがあって、それを実現する義務を負う者がいなければ、権利の体系は破綻する。権利の体系の樹立の必要は、西欧の歴史や社会の文脈があってはじめていわれる、いわば歴史的なものであることを忘れてはならない。大切なのは、権利と義務のバランスである。

3.強制の排除

第3点目は、共同体内の構成員個々による行動の動機付けの問題である。他人を動かすとき、また自分が動くとき、それを強制によって行うことが許されるのであろうか。イスラームの立場は明解である。
「宗教に強制があってはならない」(中略)

西欧の近代は、人間の自由意思から社会契約を構想したが、いまや市民社会の理想は、自らの自由意思の実現のために他の人々を強制的に支配することの正当性を探してやまない状況である。万民に等しく「イスラームの教えに強制はない」とするこの命題は、私益あるいは国益優先のガバメントからグローバルなガバナンスへ目を向けさせる際の出発点ともいえる考えである。(中略)

4.人間と動物の間

弟4点目は、共同体構成員自身に関する問題である。自由意志を行為の契機とするにしても、自由意志の主体たる人間をいかに規定するかは無視することができない。グローバル・キャピタリズムの下で、人間たちはただただ「動物的な本能」といわれるもののおもむくままに行為することが奨められている。(中略)

5.敬虔さ以外に優劣なし

弟5点目は、共同体の構成員間の関係についてである。(中略)
イスラームの教えに従えば、人種、民族、国籍、階層、性差などを原因とする序列付けや差別、憎悪、嫉妬、排斥といったものとは無縁の友好、協力関係を人々は築くことになる。グローバル化が急激に進む現代が希求しているのは、こういった種類の世界性に基づいたルールである。

人種、民族、国籍、階層、性別といった差異を優劣の尺度のみによって計り、競争原理に駆り立て、張り合わせるという種類の原理は、果たして人を幸せに導くのであろうか。たとえば性差のかかわりからみた日本の家庭の変容は、そのことを考えさせるに十分ではなかろうか。

むしろ、敬意を基礎に、お互いが補完的に協力しあう論理が中心にあってよい。優劣は神の御許で、一人一人がどれほど敬虔に生きたか、すなわちどのくらい善行や徳を積み、またどのくらい悪行や醜行から遠ざかったかによって計られれば、たしかにそれで十分である。(アッラーはすべてをご存知)。

上に掲げた5つの点すべてにその教えと反対のことを行なえば、その結果は必然的に、弱肉強食の論理にたどり着く。自分たちだけが人間であると信じ込んだ一団が、自分たちの欲望のおもむくままに、自分たちの権利を主張し、それを実現するために剥き出しの暴力によって他の人々から財産や生命、子孫や理性、尊厳などを奪っていく。そこには、人間性のかけらもない。

したがって、すべての人間が人間らしく生きるためには、たとえば上に掲げた5つの事柄が確定的なルールとして顧みられる必要がある。現下のグローバル・キャピタリズムには、そうした抑制原理が存在しないというのは言い過ぎであるとしても、それらが強く示されることは決してない。

その意味において、グローバル・キャピタリズムに抗し、それに代わるグローバルな社会の統合原理を構築するにあたって、万有に対する教えとしてイスラームが理解されるべきであり、その側面からの研究がもっと行なわれて然るべきである。
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引用おわり

現在のイスラム諸国における氏族共同体規範の残存度と秩序維持の可能性を見ていく上で、上記の5つの視点は参考になるのではないでしょうか。
 
 
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214307 イスラムの女性に対する認識 多田奨 09/09/04 PM05

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