共同関係の社会 武力支配 資本主義 認識闘争
∧ ∧ ∧ ∧
‖ ‖ ‖ ‖
採集生産 農業生産 工業生産 意識生産
↑ ↑ ↑ ↑
−−−−−−物的欠乏−−−−−−−>−類的欠乏−>
<共認原理> < 私権原理 ><共認原理>
人類の社会は、採取生産、農業生産、工業生産、意識生産という大きく4つの生産時代に区分される。
採取生産の時代の生産の対象は自然そのものであり、他の人間も、さらには動物たちも、この大自然から生活の糧を得ている。どんなに力の強いものがいたとしても、大自然そのものを私有することはできず、誰もが大自然を相手に自由に生産を営んでいた。
こういう環境のもとでは、人間が人間を支配するために不可欠の権力基盤、つまり生産対象の私有は物理的に不可能である。従って、採取生産様式の下では、社会は必然的に共同関係の社会を形成していた。
農業生産の時代に入ると、耕すことのできる特定の土地が必要になる。この特定の土地は私有することが可能で、しかも、より多くの土地を所有したほうが、豊かに暮らせる。だから、生存の基盤となる土地の奪い合いが始まる。最終的には、土地の奪い合いに決着をつける力、すなわち武力が、土地と共に人々をも支配する制覇力となる。
つまり、農業生産の時代には、社会は、武力によって支配される社会となる。(世界中のどの文明においても、農業生産が始まるや否や武力支配国家が形成されてきた。)
産業革命以降、工業生産の時代に入ると、土地ではなく機械が生産力の源となる。土地を手に入れるための武力に替わって、機械を備えるための資本力が社会を支配する制覇力となる。つまり、工業生産様式のもとでは、資本に支配される社会=資本主義社会となる。
1970年代、工業生産の拡大によって、遂にモノの(消費の)飽和限界に行き着き、工業生産に代わって意識生産が社会の生産の主力に成りつつある。
意識生産の時代は、その生産の中身が土地でも機械でもなく、生身の人間の認識力・創造力そのものであり、生産力の基盤は人間そのものとなる。つまり、意識生産という生産様式においては、どれだけ深くみんなの意識・欠乏を掴み、それに応えられたかという認識闘争へとみんなが巻き込まれ、同類圧力が活力の源泉となる時代へと突入した。 |
|