日本の婚姻制度は、家父長の決裁による形態から、戦後急速に個人の意思に委ねられる個人婚にシフトして行きます。
しかしその萌芽は、明治維新後、日本が欧米列強と肩を並べるために急速に市場化する流れの中で既に見て取ることが出来ます。
婚姻の決定権構造が「家」という単位から「個人」と言う単位へ変遷して行く過程は、あたかも「抑圧からの開放」というように美化して語られる事が多いですが、
当時の社会、とりわけ私権の獲得形態の変遷と合わせて考えると、また違った事実が見えてきます。
日本が近代的な市場経済に入る以前、江戸時代中期までの日本の経済は基本的に米を単位とした農本社会です。
当然ながら生産基盤は「土地」であり、私権闘争とは「いかに多くの土地を私有するか」という側面がありました。
しかし江戸時代後期以降、社会が安定するに従い市場経済が台頭します。
江戸時代は封建制度と身分制の中で顕在化はしませんでしたが、明治以降、私権闘争の中身は「土地」から「金」に一気に移り変わります。
そしてこの「土地」から「金」という私権統合軸の変化は、実はそのまま婚姻形態の変化に結びついています。
「土地」は世代を越えて相続して行く必要があり、必然的に「家」という単位が私権獲得の基本単位となります。
ところが市場社会とは全てに置いて「金」が必要となる社会であり、「家」や「土地」よりも個人の生産と消費が前提となります。
むしろ「家」という単位から「個人」という単位に解体したほうが消費の裾野がひろがり市場にとっては都合がよい。
社会の単位が「家」から「個人」へと移り変わった背景には、私権をいかに獲得し、市場をいかに拡大させるかという点に依拠しています。
そう考えると家父長制から個人婚への流れとは、抑圧からの解放でも何でもなく、市場原理に基づいた集団性の解体の一側面でしかないことが見えてきます。
個人婚を抑圧からの解放と捉える観念もまた、市場の中での私権闘争を正当化する欺瞞観念の一つと捉えることも出来るのではないでしょうか。 |
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