日本人の起源(縄文・弥生・大和)
199989 天皇騎馬民族説の進化A 加羅の王朝による日本征服
 
井上宏 ( 40代 建築コンサル ) 09/02/18 AM08 【印刷用へ
朝鮮半島において、扶余系騎馬民族と韓人の王族が混交、王朝を形成。かれらが加羅(任那)の地から日本支配に乗り出してくる・・・・・江上氏の騎馬民族説の続きです。

天皇騎馬民族説の進化(1) リンク 半月城通信さんより
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加羅(任那)に都した辰王朝本家は日本征服に乗りだし、まず目の前の対
馬を取り、次に壱岐を取り、さらに北九州に上陸して筑紫を取った。
この段階で本拠の加羅とあわせて、対馬海峡の両岸にまたがる韓倭連合王国が成立し、それに冠する国号として、加羅からみて東南の太陽の昇る方向の筑紫を取ったことで「日本」と称したのである。そして、本拠の加羅にあった辰王の都を「日本府」とよんだのである。

こうした私の説は、日本史の学者がふつう考えているところの、大和朝廷
が朝鮮半島に進出して日本府を設置したという説とまったく逆である。
やがて、倭人の中枢部である摂津・河内に進出し、名実ともに倭国の王となった辰王家は、中国に対して倭国王を名乗るようになる(大化改新後にまた日本と称する)。

しかしながら、辰王朝発祥の地としての任那(加羅)には、辰王家の直轄
領(官家、みやけ)としての日本府という名前が残ったのである。それゆえ、『日本書紀』において、「日本天皇」「日本軍人」あるいは「日本府」といった名称は日本側にはなく、ずべて『百済本紀』など朝鮮側の所伝にのみ見えるのである。
 ・・・
金海に拠点を置いた辰王朝の日本侵入、韓倭連合王国の成立を、日本史の
側からみてみよう。記紀には、周知のように、最初にクニを統治したことを意味するハツクニシラススメラミコトの名をもつ天皇が、神武天皇と崇神天皇の二人いたことになっている。
 ・・・
(古事記の)御真木、(常陸風土記の)美麻貴とは『日本書紀』に崇神天皇の諱(いみな)を御間城(みまき)としていることから、すなわちミマ(韓語で王)のキ(城・宮)のことで、崇神天皇が任那に都したことを示唆する宮号にほかならない。
多くの国史学者が考えているように、崇神天皇の前までの諸天皇は実在し
なかった架空の天皇であって、崇神天皇こそ、韓倭連合王国「日本」の創始者であった。

ただし、崇神天皇の段階では、筑紫に橋頭堡を築き、海峡を挟んだ韓倭連
合王国「日本」は成立したが、まだ本拠は任那(みまな)にあった。北九州からさらに近畿地方に進出し、大和朝廷政権の土台を築いた第二の建国者は、筑紫で生まれたとされている応神天皇である。・・・

倭人の中枢部たる摂津・河内に進出した応神・仁徳以後は、本拠を近畿地
方に移し、その墳墓として、誉田山古墳(いわゆる応神陵)や大山古墳(いわゆる仁徳陵)として知られる巨大古墳が築かれたが、まだ本拠を任那においていた崇神天皇の段階では、その墓は任那にあったに違いないことは、私がかねて主張してきたところである。

それゆえ、今回発掘された大成洞古墳の、四世紀半ばの年代を与えられる
木槨墓中には、私の説では、崇神天皇の墓が存在している可能性もあるといわねばならない。
以上のごとく、私の騎馬民族征服国家説のミッシング・リンクはついに発
見され、私の学説はほぼ完全に実証されたのである。
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(引用以上)

これに対して、日本で、馬具が急増するのは4世紀後半以降。それは応神天皇の頃にあたるため、応神を初代とみなしたほうがよいとする説も強い。井上光貞氏は、
>「また、崇神ではなくて応神を征服者とみたてれば、この時から多くの帰化人が、続々と日本に渡ってきた、という記・紀の所伝ともよく符合するのではあるまいか。
そればかりではない。江上説にあっては、高句麗の南下、百済・新羅の立
国など、いずれも北方騎馬民族の征服過程の一環とされるのであるが、高句麗が楽浪郡を滅ぼしたのは313年、百済の統一は肖古王の時代、新羅のそれも同じころである。日本の征服もまた、4世紀のはじめとするよりは、少しおろしてその中葉以後にみたてた方がよいであろう。この点からも、崇神ではなくて応神をその初代とする方が合理的なのである」



 
 
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