マサイの由来記には、「断崖登攀」が歴史の画期的な事件として登場する。
その記述からすると、当初は、小さな本源集団に過ぎなかったと思われる。マサイが新しい放牧地に移住して、人も家畜も大いに増え、もっと広い土地が必要になって南下を試みる時に遭遇したのが、屈強なアリンコ民族であった。
それからは、熾烈な縄張り闘争が展開されていくことになった。
●断崖登攀(マサイの伝説から)
マサイは、かつて、急峻な絶壁に四方を囲まれた火口原のような窪地に住んでいた。そして、長期にわたる旱魃の被害に見舞われた後、現在のマサイを構成することになる人々が絶壁をよじ登り、火口原を抜け出して、ケニアの高原地帯に到達した。それ以後、長きにわたって、その地に住むようになった。
マサイの原郷地は、トゥルカナ湖(旧名ルドルフ湖)の北方湖岸地帯であったろうと推測されている。彼らは、そこから南下して、他民族との抗争に出会いながら、そして彼らを逃散させたり吸収したりしながら勝ち抜いて、南方へと移動していった。
語り継がれている絶壁は、ケニア西部のカレンジン地方にあるケリオ渓谷の絶壁であった。この絶壁を克服したあと、彼らは、ケニア高地帯のライキピア地方やワウシン・ギシュ地方に進出した。
強力な集団と遭遇するたびに戦いを制して、マサイはタンザニア北部にまで進出を果たした。
マサイは、他民族と戦い、それを滅ぼしていっただけでなく、自らの内部でも、支族間の抗争を繰り返した。その抗争の原因は、飽くなき蓄財欲に帰せられている。
また、その抗争には、別な、より根深い要因もある。例えば、ある支族の青年集団が、他に抜きん出て強力になると、彼らは、他の支族を次々に攻撃を始めて、他の支族の撲滅をはかろうとする傾向がある。この事態を受けて、他の支族は、攻撃を仕掛けてきた支族の動きを止めるために、他の支族と連合を組む必要に迫られる。そして、壮絶な戦いを展開するので、支族の消滅に至ることになる。例えば、他のマサイ支族連合軍との抗争で、ローゴララ支族は、1840年中頃消滅し、ライピアク支族も、1890年代に同じ運命をたどった。
なぜ、「それほどまでに攻撃性が高いのか?」については、彼らの集団規範を見ていく必要があろう。
●殺人罪
マサイは、他のマサイを殺したときだけ殺人の罪に問われ、それは、49頭の牛で償われるべきだと考えられている。マサイ以外の人を殺しても、その咎を受けることはない。
●家畜泥棒
盗みそれを殺して食べているところを捕らえられた場合、その悪行に関与した者は、
・去勢牛の場合:5頭ずつの牝牛を支払うことを科せられる
・牝牛の場合 :7頭ずつの牛を支払うことを科せられる
・種牡牛の場合:9頭ずつの牛を支払うことを科せられる
・羊/ヤギの場合:2〜4の羊を支払うことを科せられる
・驢馬の場合 :長老たちの寄り合いによって決定される
●窃盗罪
農耕を行う地域では、牛や羊や山羊などが、他人の畑に入り込んで作物を食い荒らしてしまうことがある。マサイは、畑には家畜の侵入を防ぐための柵囲いをしておくべきものだと考えている。柵囲いをしていない畑に家畜が入っても、その責任は畑の所有者にあると考えるので、家畜の持ち主にその罪を負わせることはできない、ということになる。
もし、柵のある畑に家畜が入り込んで作物を食い荒らした場合は、長老たちは、その被害の程度を勘案して、牛の所有者に相当の賠償を科すことになる。
●結託した示威行動(エムピカス/オラマル)
◆エムピカス
社会生活において、望ましくないと判断した状態を、あるべき状態に改善するために、また自らの要求を貫徹するために、集団を組織して行われる示威行動。それは攻撃的で、お願いしたり乞う足りせずに、欲しいものを力ずくで手に入れる。彼らは、まるで戦争に出かけるように完全武装して、欲しいと思ったものは、見つけ次第、強奪する。
悪事を働いたものに対して、牛を押収したりしてその罪を責めるなど、原則として、自分たちの入社組(エイジ・グループ)の結束をはかり、その威信を保つために、この示威集団を作り、ときには強制手段をもとる
◆オラマル
穏健な示威集団で、社会の安定と秩序を保つ役割を果たしている。武器を携帯せず、乞い求めるという形で、牛や毛皮、一枚布、蜂蜜などの望みのものを手に入れる。手に入れたものを仲間たちで分配するだけでなく、予言師(オロボニ)や不当な扱いを受けた年長者に牛を届けたりもする。
女たちも、新婦の安産と多産を祈願する儀式を行うための物品を調達するために、この示威集団を作ることがある。
●婚姻制と私有意識については、下記を参照
↓ ↓ ↓ ↓
131334 牧畜部族の婚姻制〜マサイ族の例〜
放牧のための土地は、マサイのためにあり、他部族の殺人については咎めがない。
内部抗争については、「エムピカス」を踏まえた実力行使、という意識による暴走けいたいであり、他部族に対しては、自集団の規範・価値観を援用したからこそ、攻撃性が高いのではなかろうか?
最後に、戦争についての記述を添付しておく。
●戦争
大きな戦いは、常に予言師(オロボニ)の意見を聞いてから行われる。
まず、青年の代表者が予言師を訪ね、贈り物をする。
予言師は、どう戦うべきかの特別な指示を授ける。
青年の代表者は、集落に戻って偵察隊を編成する。
偵察隊は、敵地に乗り込み、見通しのよい丘から、あたりの地勢・集落の配置・牛を集めている場所などの情報を集めて集落に戻る。
遠くの森に出かけて仲間うちで肉宴会(オルブル)を開いていた青年たちも戻ってほぼ全員が揃うと、食料の調達や皮草履の至急などの戦いの準備をする。
入社組(エイジ・ブループ)儀式を行った長老たちも集まってきて、忠告と祝福を与える。
偵察隊員を道案内人として敵地に行軍し、攻撃する。
敵の集落にいる男を殺すことはあっても、女や割礼を受けたばかりの若い男は殺さない。
敵に勝つと、家畜を奪い引き上げる。
敵からの脅威がないと思われるところまでくると、戦利品を分配する。
その采配は、青年集落のリーダーが行い、偵察隊員/入社組(エイジ・グループ)の役職者/より多くの敵を殺した青年/集落のリーダー/他の青年、という順に牛が与えられる。予言師(オロイボニ)にも、護符のお礼として戦利品の分配をする。戦いにおいて臆病だったり、任務を怠った者には、何も与えられない。
時には、数人の青年たちだけが結託して、特定の誰かを襲撃しようとすることがあるが、それは単なる「盗み」として誰からも支持されない。
参考:『我ら、マサイ族』S・S・オレ・サンカン著/どうぶつ社発行
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