>当時、狩猟部族も採取部族も母系制ですが、遊牧集団は父系制にいち早く転換したようです。この父系制=男原理への転換が私権性の高まりや略奪闘争開始を解明する鍵ではないか、と直感的には思うのですが・・・。(119520)
もともと母系制であった集団が、遊牧に転じたら何故父系制に転換したのか、という問題から考えたいと思います。
遊牧部族が父系制に転換する前は、出自が狩猟部族なら勇士婿入り婚、採取部族なら総偶婚でともに母系制、しかも同類闘争圧力が顕在化する前なので交叉婚ではなく、いわゆる族内婚の段階だった可能性が高いことになります。父系制=嫁取り婚への転換であることから、出自は狩猟部族であり、勇士も小氏族内の勇士だった可能性が高いと思われます。
婚姻制の転換は、「遊牧は、羊を連れて小集団(小氏族)で独立して移動する生産様式である(実現論2_1_01)」点が決定的で、バラバラな小集団(小氏族)を如何に部族として統合するかという、組織統合課題として登場したと考えられます。この課題はどの部族もかつて経験したことのない未明課題だった。
族内婚から族外婚、つまり小氏族内から小氏族間への婚姻制への転換がまずは決定されたが、問題は勇士移籍とするか、娘移籍とするかが大きな判断の分かれ目になった。ここで移動集団≒闘争集団ゆえに、息子残留→娘移籍(つまり男原理優先の父系制)へ大転換したと考えられないでしょうか。(人類の直系であるチンパンジーは父系制だったので致命的な違和感はなかった。)娘を移籍させることで、相手小氏族へ睨みをきかすことも可能になり、男原理を貫徹する。
チンギスハン(12世紀後半)の時代でも、女性の家で一定期間過ごした後(この間に婿の資格があるか審査される)、嫁にやることを許されていることや、娘は大量の持参財をもって嫁入りしていることから、出身小氏族の影響力の強さを物語っています。
遊牧部族の父系制への大転換が、女の不安や移籍先集団との距離を生み、私益存在化していく、そして部族全体が染まっていく(実現論2_1_01)大転換の始まりだったと思われます。
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