類グループ(社会変革と共同体制)
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共同体の挑戦


■ 若き起業家たちと確かな時代認識

 類グループは、37年前('72年)、学生時代の6人の仲間によって作られた。平均年齢24歳。「皆の生きる場を、皆の手で築いてゆきたい」という思いが、市場社会の常識を破った共同体=類を生みだし、その後も、群を抜く生産性の高さと業界屈指の成長を生み出してきた。

 当初、設計集団として出発した共同体・類は、これまでに教育、農園、地所等、次々と様々な業種の生産集団を作り出し、『なんでや露店』と『るいネット』を両輪にして、マスコミに代わる共認形成の場を構築する新しい社会事業を世に問うところまできた。

 それらの実現を可能にしたのは、仲間みんなで運営する共同体であることが、社員一人一人の大きな活力を生み出し得た点が大きい。しかし、その様な共同体を作り出したことも含めて、本当の実現の秘密は、類の時代認識の確かさに(その中身そのものに)ある。

 私たちはすでに37年前から、貧困が消滅し(=物的な欠乏が飽和限界に達し)、生産様式が工業生産から意識生産(設計や教育や情報あるいは風俗や介護等、知識や親和を産み出す生産様式)に移行してゆくことを、はっきりと見抜いていた。貧困の時代なら、誰もが私権(地位やお金)を求めて必死に働く。そこでは集団は、成員の誰もが私権の獲得に強く収束することによって、自ずと統合される。


■ 権力体より共同体のほうが適している
 しかし、貧困が消滅すると、私権の確保は第一義的な価値ではなくなり、人々はその為に必死に働こうとはしなくなる。従って、私権(資本)によって企業や社会を統合することが、困難になってゆく。それに、意識生産では、機械ではなく、働く者の労働力(知識力や親和力)が唯一の生産力である。だから、意識生産では、労働力=人間の能力それ自身が、生産の主人公となる。そこでは、集団(ひいては社会)を資本力の様な私有権力で統合するよりも、皆(仲間)の共認によって統合する方が上手くゆく。つまり、脱貧困の時代には、権力統合体より共認統合体の方が適している。

 共同体・類は、その様な時代認識に基づいて作られた。従って、創立当初から、経理・財務を含む全情報を全社員に公開する情報公開システムを作り上げ、誰もが状況を把握できるようにして、その上で、全員が取締役となって経営に参画する合議体制を構築し、皆で組織や事業の方向を決定してきた。

 それを聞いて、未だに信じられないという顔をする人が多い。だが、民主主義を口にするのなら、日々の生産の場=企業を、真っ先に皆のもの=合議体に変革するのが本当ではないのか。誰もが日々エネルギーの大半を費やしている生産の場を権力体のままにしておいて、はるかに遠い国会に何年かに一回投票するだけの、西洋式の民主主義など、全くの偽物である。

 

■ 合議制のカギは事実の共認にある
 私たちは、現実そのものを対象とする長年の生きた会議経験の中から、合議体制(ひいては真の民主主義)を実現するカギは、論理が整合する事実の共認にあることを、体得してきた。

  例え仮説であっても、皆の知っている限りの知識に照らし合わせて論理が整合していれば、それを事実として認める。もちろん、これまで認めてきた「事実」に反する現象が出てくれば、直ちにその現象事実を組み込んで論理=構造認識を組み替える。この様にして、事実の認識体系は無限に進化してゆくことになる。

 逆に、自分にとって都合がいいというだけで、事実に基づく根拠が何もない「主義」や「主張」など、共同体では一切通用しない。もちろん、誤魔化しや言い訳など、通用する訳もない。この徹底した現実直視⇒事実追求の姿勢こそ、常に確かな時代認識を育み、共同体を実現させてきた真の力の源である。

(これらの会議では、設立当初15年間は主に会社の経営問題を扱ってきたが、バブルが発生した'86年頃から、社会の異常を感じ取った皆の関心が次第に社会問題に移行してゆき、遂に、サル時代まで遡った社会構造の解明に進んでいった。それは自ずと、新しい構造認識や概念装置を生み出してゆくことになったが、その結論を要約したものが『実現論』である。)

君は、どこまで次代を読めるか。

 いま市場は行き詰まり、多くの経営者が先を読めないでいる。経営者だけではない。政治家も、官僚も、学者も、マスコミも、これまでこの社会を統合する役割を担ってきた者たちの誰一人として、出口を示せないでいる。なぜか?それは時代が、これまで彼らのやってきた小手先の改革や百年一日のごとき旧観念で切開できるようなレベルを遥かに超えた、根底的な変革を必要としているからである。

 環境を破壊してきた大量の人工物質は、同時に人類の肉体をも破壊する。例えば、ガンの急増は、体内に摂取された人工物質による突然変異が原因である疑いが強い。さらに、ホルモン様の人工物質によって引き起こされる精子絶滅の危険性に至っては、文字通り人類絶滅の危機である。

 だが、肉体破壊よりももっと致命的なのは、精神破壊である。市場拡大によって職場と家庭が分断され、かつ家庭が不可侵の聖域となったことによって、家庭には何の圧力も働かなくなり、その結果、家庭は子供を教育する資質をほぼ全面的に喪ってしまった。サラリーマン家庭が孕む教育不能という深刻な問題は、少し前までは、まだ農家育ちの祖父母や親がいたお陰で、顕在化してこなかった。(農家は、現在の家庭の様な単なる消費の場ではなく、それ自体が農を営む生産体である。)しかし、農村から都市への大移動がほぼ終わった'70年以降、その致命的な欠陥が徐々に露呈され始め、老人と共に農家時代の諸規範が家庭から消え去った'90年以降、若者たちの間に心の欠陥児が急増し、子供の精神破壊が恐ろしいスピードで進行中である。

 これら環境破壊・肉体破壊・精神破壊は、その何れもが人類にとって致命的な問題であり、かつその何れもがもはや猶予ならない局面を迎えている。いったい、何故こんなことに成ってしまったのか。この問題を解決する為には、まず徹底した原因分析が必要である。だが、人類滅亡の危機を真正面から捉え、真剣にその原因を分析し、突破口を提示しようとしている人は殆どいない。

 そうしている間に、別のもっと切迫した危機=市場崩壊の刻限が迫っている。'70年、貧困の消滅によって、人々はこれ以上の物的充足を得る為に、あくせく働こうとはしなくなり、物的欠乏が飽和限界に達したことによって、市場は拡大を停止するしかなくなった。にも拘らず、この社会を差配する統合者(政・官・財および学者・マスコミ)たちは、なりふり構わず市場の拡大を続行し、不足する需要を補うべく大量の国債を発行して、800兆を超える財政赤字(自治体を含む)を累積させてきた。

 その結果、増刷された紙幣がダブつき、経済は必然的にバブル化する。既に世界中の経済は、アメリカやヨーロッパだけではなく、ロシア、中国までもがバブル化してしまっている。(例えば、アメリカの株価は、'65〜'84年平均に対して、物価調整値で見ても、4倍以上にバブル化した。)今や市場は、バブルによって見せかけの数字上だけの成長を維持するしかない袋小路に嵌まり込んでしまったのである。

 だが、日本が真っ先に経験した様に、バブルは必ず崩壊する。一国バブルの日本の株価は、5倍で崩壊した。アメリカのバブルも、'07年のサブプライム問題の破綻を契機に、遂に崩壊過程に突入した。株価の世界同時大暴落から大恐慌への道は、もはや避けられない所まで来ている。そして、このままでは、大恐慌に襲われた各国政府が、従来以上の天文学的な額の国債を発行することは、目に見えている。その結果、遂に国債の大暴落が始まるだろう。その時、市場は崩壊の瀬戸際に立つことになる。

■株価指数国際比較 2008年10月12日現在
(各国の1965ー84平均株価指数=100とし、物価上昇率で除した値)
株価指数国際比較
〈出典〉
「証券統計要覧」野村総合研究所
「国民経済計算年報」内閣府
「海外経済統計年報」日本銀行調査統計局

 

人類の適応不全⇒
みんな収束して答え探索

 だが、これは単に市場社会200年の終焉なのではない。市場の背後には、性市場(恋愛=性の私的選択の場)があり、性市場の奥には、性闘争(メスの獲得を巡る、オス同士の闘い)の本能がある。そしてこの性闘争→私権闘争(地位やお金を巡る闘い)の活力こそが、市場拡大の原動力と成ってきた。ところが、'70年以降、それらの活力が衰弱し始め、とりわけ'90年以降、あらゆる活力が衰弱して、社会は急速に衰弱と混迷の度を深めつつある。

 これは少なくとも、私権闘争を活力源にし、その強制圧力(私権を獲得しなければ生きてゆけないという、否も応もない絶対的強制圧力)によって統合されてきた私権時代3000年の終焉である。

 だが私権時代を通じて、国が滅亡することはあっても、人類が滅亡の危機に陥ったことは一度もない。とすれば、この滅亡の危機は、人類が私権時代3000年をも超えた、もっと根底的なパラダイムの転換期を迎えた事を示唆している。つまり人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られているのである。

 今や人類は、適応不全に陥ったとも言える。事実、これは、個人や集団や国家を遥かに超えた、種としての『みんな不全』『みんな課題』である。既に潜在思念では、誰もがそのことを感じ取っている。だから、潜在思念は、答えを求めて「みんな、どうなん?」と、羅針盤となる『みんな』に収束してきた。

 ところで、この『みんな不全』⇒『みんな収束』の大潮流の中では、「自分」という視点など吹き飛んでしまう。既に若者の間では、人との繋がりや反応が一番の活力源になっており、そこでは「自分、自分」と言っていても始まらない。また就職においても自分発の「やりたいこと探し」から、「やるべきことは何?」という社会的役割の探求へと意識は大きく転換しつつある。これらのことは、自我や私権を原動力とする時代(=個人を立脚点とする個人主義の時代)が終焉を迎えたことを意味する。

 現在すでに、この『みんな不全』⇒『みんな収束』の大潮流は、巨大なマグマとなって、噴出口を求めている。事実、環境破壊、精神破壊、財政破綻など至る所で見られるガタガタ現象の進行を前に、人々の危機感→閉塞感は年を追うごとに高まり続け、その臨界点を迎えた'02年頃遂に、「どうにかしなければ」という待ったなしの焦燥感までが顕在化した。  

 現代は、私利・私欲を求めて争ってきた私権時代3000年の歴史を覆す大転換期(それどころか、貧困の消滅=生存圧力の消滅とは、生物史を覆すような大転換期)である。従って、私権時代という狭い枠組みの中で得られた知識や理論では、とうてい突破口は見つけられない。この全面閉塞=人類の適応不全を突破するには、私権時代を突き抜け、原始時代の社会の構造、更にはサル社会の構造、(必要なら生物史)にまで遡って、意識と社会の原基構造を解明する必要がある。それは、みんなの実感に基づく「何でだろう?」の原因をとことん追求してゆけば、必然的に到達する地平でもある。  

 つまり、みんなで共認形成をしてゆく為に必要なのは、哲学や心理学や社会学といった旧観念ではなく、文化人類学やサル学や生物史といった事実認識群であり、みんなでそれらの知識を持ち寄れば、意識構造や社会構造の新理論体系を構築するのは、決して難しい作業ではない。既に、その叩き台となる新しい概念装置『実現論』も、できている。

 新しい認識は、当然みんなの協働によって紡ぎ出される。そして、この『みんな収束⇒答え探索』に応える認識競争こそ、次代の最大の活力源となる。その活力を顕在化させるには、誰もが集まり、語り合うことのできる『場』があればいい。それが、『なんでや露店』であり、『共認形成サイト』であり、これこそが、私権統合から共認統合への転換の第一歩となる。




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