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351578 表に出始めた明治維新の真実(4)  討幕の英雄三傑、慶喜将軍、勝海舟、榎本武揚のその後
 
今井勝行 ( 中年層 東京 会社員 ) 19/12/03 PM05 【印刷用へ
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表に出始めた明治維新の真実(4)

「つづき」
討幕の英雄三傑、慶喜将軍、勝海舟、榎本武揚のその後

徳川軍崩壊に大きな功績のあった第15代最後の将軍慶喜公は、元幕臣が生活にも困窮する凄惨を舐める中、豪邸で悠々自適の暮らしを送り、やがて明治政府の要職にも就き、明治時代を生き残り、大正二年に没します。

勝海舟も明治政府に厚遇され、要職も歴任し、恵まれた余生を送り明治32年に没します。
榎本武揚は自分が連れ出した志ある者どもが尽く戦死を遂げる中、自身は降伏し一応、しばらく牢獄暮らしとなります。その後は大出世を遂げます。幕末の欧州留学時代には自ら軍艦の購入交渉をまとめたり、ドイツ最大の財閥クルップの総裁とも面談、バリバリのエリートだった訳ですが、明治政府でも外交交渉をはじめ、各分野で重責を担い、多くの省の大臣職を歴任、明治41年に没します。
薩長土肥側の志士と言われた人々の大半が明治維新後数年以内に非業の死を遂げたのとは対照的です。

徳川家乗っ取り作戦、討幕派のリーダーを徳川将軍に
徳川家を倒す作戦の要は討幕派のリーダーを将軍にすることでした。そもそも慶喜公は一橋家に養子入りしたとはいえ、水戸徳川の出自です。家康公の血を引き将軍継承権をもつわけですが、水戸徳川は桜田門外の変を起こしたばかりでなく、先鋭な討幕派であり、政権は武力で倒すもの政敵は殺せばいい、という過激な思想を持ちます。水戸学派の親派は全国に散り、彼らが討幕のネットワークを構築します。
吉田松陰は水戸学派の言ってみれば下っ端ですが、このネットワークには大物が加担しています。禁裏にあって大きな影響力をもつ岩倉具視、討幕令を偽造した張本人です。他、島津斉彬、山内容堂、松平春嶽らです。松平春嶽は福井松平家当主ですが、薩長土肥の武装集団よりも重要な役割を果たします。新生明治政府の財務を握る重鎮です。明治維新は福井の金で実現した、と言ってもいいほどです。明治政府のお札が越前和紙でつくられたのは偶然ではありません。福井松平家が地元の名産品でお札をつくったのです。
松平春嶽は京都守護代の人選の際に執拗に会津松平容保を推しました。天保の大飢饉により奥羽越の諸家は大変な危機にありました。江戸の米市場を押さえる有力な勢力であった仙台も疲弊し、明治維新に対しておそらく最後まで徹底抗戦するであろう有力諸家が困窮しているところへ莫大な出費を要する京都守護代の任を押し付けたのです。
会津は財政破綻を覚悟で京の守護に乗りこんだのでした。時々、どこかでテロ事件を起こす薩長側の方が、常に大兵力を動員して各地を警備する守護代より遥かに低コストでオペレーション可能でした。松平春嶽は「松平」家ですから徳川の縁者であり、将軍継承問題にも干渉します。島津家は関ヶ原で家康本陣に突撃し、戦後の交渉でも一歩たりとも領土を譲らなかった徳川最大の敵でした。ところが島津家は徹底的に訓練した子女を公家や諸大名と縁組させ血縁ネットワークを広げます。公家から正室をもらう将軍家と島津家は只ならぬ血縁の絆で結ばれていきました。病弱な子が続く将軍家を後目に健康爛漫、ポコポコと子を産み続け教養も高い島津家血縁ネットワーク軍団は評判よろしく、ついには将軍様正室に篤姫を送り込み、大奥の権力の頂点を握ります。
将軍家継承問題に干渉するという半端なレベルではありません。最高レベルの実権を握ったのです。篤姫は島津斉彬の実の娘との噂もあるそうですが、超エリート諜報員として同期の小松帯刀らと共にあらゆる訓練を受け、非常に有能だったとされています。公家に嫁入りし、宮中での術数に長ける諜報員、幾島が付人として大奥に入り、江戸市中には連絡員として諜報員西郷隆盛が赴任します。彼らを束ねる大久保利通ら、わずか数名の工作部隊だけでも徳川家中枢への強い影響力を持つに至りました。

密貿易で荒く稼ぐ島津家と使用人坂本龍馬

島津家は税金のかかる米よりサツマイモを領民に食べさせ、米で測る石高にしては強大な兵力を動員できましたが、古くから外国勢力との密貿易によって財政を支えていました。当然、非合法取引ですから実務は土佐の荒くれ海男にやらせます。その中で商才を顕したのが坂本龍馬です。彼が薩長を仲直りさせたのではなく、元々、島津家の武器密輸の実務を担当する雇われ人だったのです。毛利に売ってこい、となれば毛利に売るのが仕事です。歴史小説では長州人が先陣を切り、当初、幕府側にいるように見えた薩摩が討幕へ方針を変えていくように描かれますが、歴史上は逆です。薩摩は最初から徹頭徹尾、討幕派の中心であり、訳あって長州を巻き込む必要があったのです。日本の事実上の植民地化を狙う英国とも早くから交渉がありました。土佐山内容堂は、領内のいってみれば不良のようにも見える徒党が島津家の密貿易業務に就くのを取り締まらず、むしろ家臣として登用するようになります。また長崎出島に近い肥前鍋島家も外国商人とのパイプが太く薩土肥連合の絆は早くから結ばれていきました。長州を巻き込むには時間と手間がかかります。そこが逆に歴史小説のネタになるドラマになっていきます。
ちなみに坂本龍馬はグラバー商会の資金と船を預かり海運業を営みます。積荷は武器などです。要するに密貿易の使用人から武器商人に昇格したのです。帳簿係りが岩崎弥太郎。龍馬暗殺後、後を次いだ岩崎弥太郎は大阪に九十九商会(つくも)を設立します。同じく資金と船はグラバー商会から提供され廻船業を営みます。これが後に三菱となります。グラバーは家康指南役ヤン・ヨースティン邸宅跡、名前を縮めて八重洲ビル(場所は丸の内)から毎朝、馬車にのって三菱各社を視察していました。私が就職した時、八重洲ビルは三菱商事本店、私がいた三菱商事ビル別館は、旧三菱商事(九十九商会を継承する三菱。戦後の三菱は別法人で、新旧二つの三菱が存在していました。)の本店でした。
「つづく」
 
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