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日本を守るのに、右も左もない
340632 なぜ江戸町民は"1日40キロ"も歩けたのか 〜日本人の歩き方は「変わった」のではなく「変えられた」〜
 
高橋謙太 ( 27 大阪府 会社員 ) 18/11/07 AM00 【印刷用へ
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江戸時代の人々は1日30〜40キロ歩いていた。どうしてそんな長距離を歩くことができたのか。九州共立大学の木寺英史教授は「草履やわらじを履いていた頃の日本人は、地面にかかとがしっかりとついていた。ところが靴を履くようになって、つま先のあたりに圧力をかけるようになり、歩き方が変わってしまった」という。

◆「腕振り、大股歩き」は、実は身体に悪い
【かじやますみこ(ノンフィクション作家)】木寺さんは江戸時代以前の身体運動文化を研究され、その成果を歩行などの動作改善の指導にとり入れているとうかがいましたが、昔の日本人はどんな歩き方をしていたのですか。

【木寺英史(九州共立大学教授)】ひとことで言えば、昔の日本人は実に多様な歩き方をしていました。たとえば、武士、農民、町民など身分によって歩き方が違うし、職業や性別、年齢によっても違う。同じ人であっても、旅をするときと近所の散歩など、移動する距離や目的によって歩き方が変わるのは当たり前のこと。というのも、歩行はあくまで移動の手段だからです。いろいろと調べてみると、日本人は、その切り替えを無意識のうちにやっていたようなのです。

ところが、現代のわれわれはそうではない。いつのまにか「歩くとはこういうことだ」「これが正しい歩き方だ」と、本来は多様だった歩き方をひとつに集約しようとしている。とりわけ、「ウォーキング」といわれるものに、その傾向を強く感じますし、そのことに対して、僕は危機感を抱いているのです。

【かじやま】それはエクササイズとしての「ウォーキング」ということですか。

【木寺】はい。「エクササイズウォーク」や「パワーウォーキング」と呼ばれるものです。腕を前後に大きく振りながら大股で歩く。後ろの足のつま先で地面を強く蹴って、身体を前に進める。ダイエットに効く、健康になるための歩き方などといわれますが、あんな歩き方をしていると、かえって健康を害します。特に高齢者には身体に負荷がかかり過ぎるため、腰痛やひざ痛、外反母趾などの原因になってしまいます。

死ぬまで自分の足で歩けるような筋力の維持は大事ですが、その方法としては、スクワットなどの体力トレーニングをお勧めします。体力トレーニングのほうが筋力をつけるには効果的だという、最近の研究結果もあります。とはいえ、僕も万歩計はいつも持っていますが。


(中略)

◆昔と今の剣道では、身体の使い方が明らかに違う
【かじやま】そもそも、身体運動文化や動作改善を研究されるようになったきっかけは何だったのですか。

【木寺】僕の専門は剣道です。今も大学で剣道部の監督をやっていますが、若い頃は、学校の体育の教師でした。中学校で教えていた29歳のとき、剣道でアキレス腱を切ったことがありました。そのとき、ふと、「昔の剣道家も、アキレス腱を切ったのかな?」と考えた。興味を引かれて調べ始めたら、昔の剣道と今の剣道では、身体の使い方が明らかに違うことがわかったのです。

たとえば、今の剣道では、踏み込むときにかかとを上げています。だからアキレス腱が切れやすいのですが、江戸時代はかかとを地面につけたままだったと考えられる。そんなことを調べていると、江戸時代と現代の歩き方の違いに行き着きました。それが剣道における身体の使い方の根底にある。そう気がついて歩き方について研究するうちに、世間では、剣道の専門家というよりも、「歩き方にくわしい人」と思われるようになってしまって(笑)。もともとは、剣道をより深く知りたかっただけなんですけどね。

【かじやま】江戸時代と比べて、日本人の歩き方は大きく変わったとのことですが、なぜ変わってしまったのでしょう。

【木寺】僕たちは「身体の断絶」と呼んでいますが、近代以降、日本人の身体運動にとって大きな変化が2度起こりました。1度目は明治維新、2度目は終戦です。

明治維新のとき、強い軍隊をつくるために、明治政府は農家の青年を集め基礎となる行進の練習をさせました。ところが、当時の若者は隊列を組んだ行進ができなかったそうです。なぜかというと、歩き方が違ったから。和服を着ていたため、足を高く上げ手を大きく振って歩くことに慣れていなかったのでしょう。草履やわらじといった履きものの影響も大きかったと思います。


◆日本人の歩き方は「変わった」のではなく「変えられた」
【木寺】そこで政府は、学校教育の場でも盛んに歩く訓練をさせました。巧妙に計画を立てて、若者たちを一人前の兵士にするための準備をしたのです。言い換えれば、近代教育における体育は、子どもたちの幸せのためではなく、子どもたちを戦場に送るために始まったということ。

たいへん残念なことに、スポーツはその後もさまざまな形で利用されることになります。日本人の歩き方は「変わった」のではなく、「変えられた」と表現するほうが正しいと思います。

【かじやま】戦後の変化はどうだったのですか。

【木寺】終戦後の占領政策で、さまざまなスポーツやトレーニング法がアメリカから入ってきたのです。このとき、つま先や足の親指の付け根に体重を乗せて動くことがよいとされた。これが2度目の「身体の断絶」です。

草履やわらじを履いていた頃の日本人は、地面にかかとがしっかりとつくような立ち方をしていました。つま先は外側を向き、かかとやアウトエッジ(足裏の小指側)に圧をかけるようなイメージです。僕らはそれを「外旋立ち」と呼んでいます。

宮本武蔵の『五輪書』の足さばきについて書かれた一文にも、「きびすをつよく踏むべし」とあります。「きびす」とはかかとのこと。当時の武士は、かかとのあたりを踏みしめるようにして動いていたということでしょう。

ところが、西洋文化の影響で、靴を履いて歩くことが当たり前になった現代のわたしたちは、つま先のあたりに圧力をかけて立つようになったのです。
 
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