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マスコミに支配される社会
339901 大学の先生ですら無意識に「フェイクニュース」に加担してしまう時代に。
 
長曾我部幸隆 ( 28 神奈川 会社員 ) 18/10/11 PM00 【印刷用へ
マスコミによる情報操作、それに付随して詭弁を奮ってしまう大学教授という閉じた職業。

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突然だが、昭和生まれの世代であればよく耳にした“道徳的な言葉”に、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」というものがあった。

慶應義塾の創設者であり、1万円札の肖像にもなっている福沢諭吉の言葉として紹介され、要旨「人類は皆平等であることを説いた偉い先生」という引用のされ方をされたが、記憶にある人も多いだろう。


だが言うまでもなく、この解釈はあらゆる意味で誤りだ。

ネット社会の普及でこのフェイクは広く知られるようになったが、念のためにおさらいしておきたい。


今、私の手元に、福沢諭吉の著した「学問のすゝめ」がある。

最初のページをめくると、明治13年7月30日に福沢が記した巻頭書きがあり、それに続き本編が始まるが、その書き出しが、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。」だ。

 福沢を、人類平等を説く思想家と解釈した人はこの下りを誤解したのかも知れないが、ここは「言えり」なので、他人の言葉の引用部分である。

「〜って言っている人がいるよ」「〜と言われているね」というニュアンスであり、福沢の言葉ではない。

もちろん福沢が喝破したわけでもない。

とは言え、もちろんこれだけでフェイク扱いをするつもりはない。

大事なのはここからであり、このセンテンスに続き福沢は何を述べているのか。

要約すると、

「にも関わらず、世の中には頭の良い者もいれば頭の悪い者もおり、金持ちもいれば貧乏人もいる。貴人もいれば下人もいるが、これはなぜなのだろうか。」だ。

つまり、一行でまとめると「天は人を平等に造っているはずなのに、実際は全然違うよね。」という書き出しなのである。

まさに、正反対の解釈だ。

さらに、福沢の辛辣な言葉は続く。

平等に生まれたはずの人間がなぜ平等でなくなるのか、という考察が始まるが、ストレートに書くことは憚られるので、ソフトに要約したい。

「学ぶことを諦め、誰でもできるような簡単な仕事を選んだ人間の身分は軽くなって当たり前。難しい仕事をする医者、学者、政府の役人は貴い身分であるのは当然だ。」という言葉がこれに続く。
 
なお一部だけでもそのまま引用させて頂くと、「無学なるものは貧人となり下人となるなり。」とまで書いている。

現代であれば、政治家が口にすればエライことになるフレーズだ。

 
とはいえ、だからこその「学問のすゝめ」なのだが、いずれにせよ福沢は、人類は皆平等であるなどという博愛は説いていない。

いや、もしかしたらどこかで説いているのかも知れないが、少なくともこの下りをそのように解釈し引用するのはかなり無理があり、言ってみれば完全にフェイクだ。
 
ちなみになぜ、私がこんな古い文庫本を持っているのかと言えば、私自身も福沢のこの言葉を長い間、人類平等を説く言葉だと信じていたからだ。

しかし、いつのことか記憶は定かではないが「その解釈は誤り」という解説を読み、それでも信じられずに自分で確認したいと思い、文庫本を買ったことを覚えている。

若い頃から繰り返し刷り込まれていた「常識」を自己否定するのは、これほどまでに受け入れがたい作業だった。

そして原文にあたった結果、ようやく事実を受け入れることができた。

 
■怖い「なんとなくのイメージ」
このように、世間では「常識」と広く信じられているにも関わらず、実は全く正反対のことであるフェイクはとても多い。

そしてその中でも、私が昔から気になるフェイクの一つが、

“日本だけは、太平洋戦争の際、当時すでに空母と戦闘機の時代になっているのに、「世界一」だと言って戦艦大和の建造に走り、不沈艦だと言い張っていた”

という趣旨の論説だ。

この考え方は、「学問のすゝめ」と違い余り活発に議論されるようなネタでもないので、おそらくそのように信じている人が、相当数いるだろう。

知識人と世間で理解されている大学教授が、なんとなくのイメージでその真偽を確かめる事なく、署名記事に誤った内容を記す影響力は余りにも大きい。

ネット上に無数に存在する眉唾のニュースは、誰もがある程度、疑ってかかるが、大学教授が講義や署名記事で著した内容は相当な信憑性を持って、フェイクが無数に連鎖していく。


そしてこのように、第1級の明確な歴史資料が残っている史実さえも、多くの人々に「間違った知識」として常識となっていき、やがて史実すら変えかねない原動力となるだろう。

そうなれば、間違った学習から間違った教訓を引き出すという、致命的な学習エラーが発生する。

これでは、学習をする事そのものが有害にすらなりかねない。

 
しかしその上で、私も福沢諭吉は相当長い間、人類の平等を説いた思想家だとなんとなく信じていた。

おそらく知識を上書きしていなければ、今もそのように信じ、人にも伝えていただろう。

先の大学教授の話もそうだが、全く悪意がない分、なんとなくのイメージが持つ影響力は余りにも大きい。

 仕事を進める上でも、私生活で趣味を楽しんでいる時間も同様だが、自分が正しいと信じている常識は、本当に真実であると信じるに足る根拠があるのか。

時には底本や一次資料にあたり、知見のクリーニングをする必要があるのではないか。
 
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