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近代科学を切開する
337957 科学的思考様式もまた、ひとつのイデオロギーである
 
中村英起 ( 58 佐賀 会社員 ) 18/08/10 PM09 【印刷用へ
科学的思考様式もまた、ひとつのイデオロギーである
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科学的方法で得られた知見は「客観的」知識であり、自然科学の探求は世界の“真の姿”の描写を目指している、といった、信仰に近い考え方がある。

科学者の間にも、また一般の人々の間にも、かなり根強く普及している神話である。この“客観性信仰”は、科学者共同体が、自己正当化し、権威付けを行うのに都合のよい宣伝文句として利用されているが、実質の伴わない思い込みに過ぎない。

実験的方法と数学的解析を結びつけた実証主義的方法論を核とし、機械論的自然観に根ざした近代科学は、17世紀のヨーロッパという歴史的・地域的制約条件のものと成立してきた。人類に普遍的な思考様式などではない。近代西欧文明の価値観を反映し、また西欧文明のあり方に影響力を行使しつつ、自然科学は発展してきた。

つまり、科学的認識方法は、世界の見方に対する「歴史的伝統」のひとつなのである。
科学者は往々にして、このことに無理解である場合が多いのだが、それは科学的物の見方・考え方が当たり前と思い込むように、高校、大学、大学院の研究室で教育され、自明のものと受け取るようになっているからであろう(振り返ると私も大学時代にそのように教育された)。一定の訓練を積まないと、仮説構築や実験プランを立てることは困難である。その訓練の過程で、いわば“マインドコントロール”され、自身の思考様式が客観的・普遍的様式であると誤認するようになってしまうのではなかろうか。

自然科学の諸分野では、分野ごとに、一定の約束事で世界を切り取っている。複雑で多様な世界を理解するために、理想的状態―真空中の運動、分子間力と大きさのない理想気体分子など―を仮定したり、物体の性質のうち数式化に馴染みやすい性質のみを考察の対象にしたりする。これらは、科学者の共同体において、歴史的に形成されてきた必然性のある約束事である。

ある時代の科学者集団は、その研究の生産性の観点などから、一定の自然像を暗黙のうちに選び取り、その自然像と親和的な枠組を構築して、その内部で研究が行われる。そして科学教育も、その枠組の内部で行われ、科学者が再生産される。科学的世界観は、いわば“恣意的”に切り取られた約束事の上で成り立っている人為的な世界模型なのである。
もちろん、“恣意的”だからといって、科学的認識が現実的な世界把握から無制限に隔たってしまうわけではないが、科学に内在する方法論の束縛のため、ある一定の制約を受けているのは確かであろう。

ところで、用いる言語の違いによって、その言語で分節される世界像が異なってくることは、よく知られている。人は、言語を通して、世界を把握する。
科学者集団や、さらにその内部の個別専門集団においては、それぞれの専門用語体系が成立している。となれば、科学者共同体の世界把握は、その共同体の用いる用語と概念枠組による束縛から自由ではないし、その内部の、原子核物理学のような個別分野の専門家集団は、さらにまた異なる専門用語体系のもと、他の分野とは異なるフィルターのかかった世界像を有することになろう。

そして、得られる科学的知識は、その知識獲得に向けて用いた方法に依拠するため、その方法が掬い取れる性質の知見のみが限定的に得られる、という構造的限界が存在する。
したがって、科学者が“ありのまま”に前提なしに自然界を捉えている、というのは幻想に過ぎないし、科学的世界像が、客観的・普遍的世界把握である、というのは根拠のない信仰に過ぎないのである。

ところが、問題なのは、歴史的に形成され限定付けられた認識方法である科学的方法が、あたかも唯一の正しいものの見方・考え方であるかの如く装われて、権威を伴いつつ世の中を流通している事態である。
その意味で、科学的思考様式は、ひとつの「イデオロギー」としての効力を社会において発揮している、とみなせよう。
原子核物理学者や、原子力技術者は、それぞれの専門化集団内で、独自の教育を施され、特定の訓練を経た後、特殊な専門用語と概念枠組を身につけた専門家である。そのため、必然的に、一般の人々の世界認識とは世界像にずれが生じる。

このことを自覚して、自ら属する枠組の特殊性に対して、批判的検討を加えたり、専門外の人々との意見の流通を図ったりすることができれば、科学技術分野としての原子力は、“原子力ムラ”に呑み込まれずに済んだかもしれない。だが残念なことに、この分野での「枠組外し」を自覚的に行い得たのは、武谷三男氏や高木仁三郎氏や小出裕章氏など、一部の限られた人たちにとどまった。

大部分の多数派は、自らの専門分野の枠組内に安住し続け、人間としての人格的参与をせず、組織に責任を預けてしまっていた。
これらの原子力の専門家に対しては、高木氏の批判的コメント、「議論なし、批判なし、思想なし」がまさに当てはまる。
自らが「専門家であること」に対して、つねに批判的検討のまなざしを向け続けることが、専門家に課せられた責務である、と私は考える。

(引用終わり)
 
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338379 教育者に留まれば留まるほど、イデオロギー化する naturalshoot 18/08/20 PM09

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