この記事の読者は累積2110人です。
 
近代市場の拡大
335691 『需要発から供給発』の時代。「買う方が歩く」から「売る方が歩く」、江戸時代に学ぶ。
 
麻丘東出 ( 57 兵庫 ) 18/05/16 AM02 【印刷用へ
戦後から高度成長後の1970年頃まで「需要>供給」の中では、効率重視の生産で量と品数を揃え待っていれば商売できた時代だった。しかし物的豊かさを実現し人口拡大停止し「供給>需要」の構造に転換した今や、能動的に人々・相手に同化し期待を掴んでいかないと商売にならない。
社会の統合様式や農業と工業の生産様式の違いなど時代背景は大きく異なるが、江戸時代のなかでも「供給>需要」の現代に近い状況があり、物的商品を媒介とする契約取引関係から、相手に深く同化し期待に応える関係へ転換しているこれからの商売を考えるうえで参考になる。

以下、リンクリンクリンクから引用
-------------------------------------------------------
■江戸時代に人口の低迷期
<中略>日本の人口は17世紀初頭以降一貫して増加してきているように見えるがそうではない。この期間に人口が急増した時期も、横ばいないし減少した時期もあった。
まず「人口急増期」といえば戦後の復興期が代表的だが、江戸時代にもあった。それは関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利し、江戸に幕府を開府してから最初の100年余だ。このとき日本の人口は大幅に増えて3300万人前後に達した。これは兵農分離が進み、戦いがなくなって農地開拓が進んで農業生産力が著しく増加したからだ。つまり食糧生産が増えて、養える人口が増えたのである。
しかし江戸時代も100年を過ぎると農業生産力の伸びが止まってくる。開拓できる土地がなくなってしまったからだ。その後130年間に渡って、つまり江戸時代が終わり明治維新が始まるまで人口はほぼ横ばいを続けた。<中略>

■同じように“改革”が叫ばれた
では人口が低迷した江戸時代の130年間の日本はどうだったか?やはり“デフレ期”のように、人口が増えた時代の経済から大きな転換を余儀なくされた。豊かな税収をベースに拡大基調だった組織(藩、幕府)はリストラを迫られ、しばしば武士の生活は困窮した。農地が増え、藩内の人口が増えた時期は完全に終わり、増える富を享受する時代から、富を分け合うべき時代に入った。
各藩や幕府の財政は著しく切迫した。今の日本の赤字漬けの財政状況と似ている。そこで実施されたのが、「享保の改革(1716〜1745年)」「寛政の改革(1787〜1793年)」「天保の改革(1841〜1843年)」という三大改革だ。ここ30年の日本も“改革”を何回もやっているが、これは歴史を見れば珍しいことでも何でもない。
江戸時代の最初の100年が戦後でいうところのバブルまでだとすると、その後は成長率が落ち、消費の著しい伸びが止まった。<中略>各藩(今でいう企業や官庁)は“緊縮”を余儀なくされ、それでも足りずに藩や幕府は商人から借りて負債を増やし(今の国債・地方債の増発に相当)、一定のインターバルで改革を打った。では、その当時の江戸時代の人々はどう商売したのか。これは参考になるかもしれない。なぜなら、日本はこれから少なくとも、最低数十年は続く人口の横ばいから減少時期に入るからだ。学ぶことはあるはずだ。<中略>

■奉公人は走った
<中略>江戸時代の商人が考えたのは、「人口が増えないということは、自分の店の商圏に住む人も増えない。他店との競争で重要なのは、増えない顧客をどう確保して、囲い込むか。だから自ら売り歩くのだ」ということだ。交通手段も発達していない。待っていてもだめ、自分が売りに歩かなければ客はつかめない。だから小魚や塩、醤油まで、ほとんどの物が売り歩きの対象だった。反物もそうだ。丁稚(でっち)が担いで大店の奥様や大名屋敷に持ち込んだ。そもそも、奥様がふらふらと買い物に出る風習などなかったのだ。

■買う方に歩かせる時代
ところが戦後が終わってしばらくしてからの日本では、「買う方が歩く」のが普通になった。我々も自らが歩いてデパートに行き、車を使って大規模スーパーで日用品を購入している。それを不思議に思わない。江戸時代の人が見たら、「おやおや、自分で行くのかい?来てもらえばよいのに」と言うだろう。<中略>
かつ高度成長期で毎年大幅に労働賃金は増加した。若い彼らは自らの足で歩き、電車に乗り、車を運転し、レジャーを楽しんだ。そして店を構えている人にとっては黙っていても自分の商圏の消費者が劇的に増えた時代、彼らが移動してくる時代となった。売る方が歩く必要は全く無くなった。黙って店をきれいにして、美しい女性を店員にし、自ら動いてくれる消費者を待っていればよい時代が到来したのである。
その恩恵を最も受けたのはデパートだった。今でも「デパートは商品の博物館で、見ていて楽しい」という人がたくさんいるが、人々はそこで買い物することを憧れのライフスタイルとした。だからデパートは“小売りの王様”だった。しかし今は違う。<中略>

■所与の設計
<中略>重要なのは、日本のほとんどの戦後システムが、この人口の増加期、特に急増期に「人口増加を所与の事」として設計されたことだ。それは人間のある意味での「社会知の限界」と言えるものだが、10年、20年もトレンドが続くと、それが“永遠の傾向”と考えられてしまう。そして社会の全ての制度やシステムが、「人口は今のように増え続ける」という前提で出来上がってしまったのだ。
考えてみれば、日本の退職金制度にせよ、年金制度にせよ、「人口が増え続ける」ことが前提だった。年金制度の受益者が全人口の中で占める割合が今のように高くなることなど想定もしていなかったと思われる。商売のシステム=「買う方が歩く」から、大都市近郊におけるベッドタウン建設まで、人口が増え続けることが大前提だったのである。
 
  List
  この記事は 79426 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_335691
  ※トラックバックは承認制となっています。

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献


『るいネット』は、45年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp