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国家の支配構造と私権原理
334901 諜報機関としての修験道・陰陽道6(南北朝と薩長)
 
冨田彰男 ( 54 兵庫 経営管理 ) 18/04/17 AM00 【印刷用へ
『縄文と古代文明を探求しよう!』「日本古代;征服部族が作り上げた支配構造」リンクから転載。
元情報は、未来狂冗談氏の「皇統と鵺の影人 第二巻」リンク
その要約とのこと。

◆南北朝と明治維新の長州、薩摩〜南朝の良光親王を保護した大内氏・毛利氏・佐藤氏〜

・多々良姓は、周防、長門地方を平安時代の昔から長く治め、妙見信仰の最大の庇護者だった大内氏の古い姓である。

・下松(くだまつ)市、光市、田布施町などの町々は、瀬戸内海に連なる北辰尊星妙見大菩薩(ほくしんそんじょうみょうけんだいぼさつ)と朝鮮半島、百済(くだら)の国の琳聖(りんしょう)太子の来朝帰化の伝承の地である。「降星伝説」この地では、妙見信仰は長く保護され、人々に根付いていた。

・南北朝時代には、大内弘世は南朝側として周防、長門の豪族を服属させ、「建武親政」に協力すると、正平18年には一転、北朝側に寝返って周防、長門両国守護に任じられた。この寝返り、大内氏の存続を守り、南朝の皇子「良光(ながみつ)親王」を密かに匿い、守る為の算段だった。

・庇護した皇子の南朝方が天皇に返咲けば、関白太政大臣も夢ではない。大内氏は戦国時代に配下の陶(すえ)氏に下克上に会い、その陶氏は毛利氏に取って代わられたが、大内氏の血脈が、「良光親王」(※満良親王とも言われる)の血統を守り、神主などの武門以外で多々良姓を名乗り、永らえていたとしても、不思議は無い。この密かな陰謀は、毛利家にも引き継がれ、良光親王を守って下向した藤原氏の枝、佐藤氏を名乗る世襲代官が、この地を代々ひっそりと守って、明治維新を迎える。

・源氏を武門の棟梁の血筋と決定付けた八幡太郎義家は、源義家と言い、頼朝の五代前の源氏の棟梁である。鎌倉幕府の御家人の苗字と薩摩の国人の苗字と共通するものが顕著に多い。(これは謎が多く決定打はないが、薩摩の国人と源家の間にはかなりの接点が存在する。)
 
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