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日本を守るのに、右も左もない
333402 言葉は道具ではない。私達は言葉によって作られている。
 
田野健 HP ( 57 兵庫 設計業 ) 18/02/12 AM10 【印刷用へ
内田樹氏の最近のブログ記事の中に早期英語教育の弊害と、なぜ弊害かを書かれた記事があった。その中で言葉とは道具ではない。人間は言葉を支配しているのではなく支配されているというくだりがあった。
観念の怖さと可能性を見事に指摘している。長文だったので「怖さ」の部分と「可能性」の部分を2回に分けて投稿する。
グローバルやイノベーションなど日本語で新しい概念を作り出す事が少なくなっている現在、思考もまた中身を失いつつある。
リンクより引用しました。

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母語が痩せ細っているというのは、現実的には英語が支配的な言語になりつつあるということです。すでに各種の学会ではそうなりつつあります。自然科学系の学会ではしばしば日本人だけの集まりでも発表や質疑は英語で行われます。研究者たちは英語で論文を読んで、英語で論文を書いて、英語で議論する。韓国でも事情は同じだと聞いています。どちらも英語での大学の授業数が増えています。「留学生数」や「海外提携校数」や「英語で開講されている授業数」や「外国人教員数」が多い学校に助成金がたくさん分配される。だから、どの大学も必死になって英語に教育資源を集中的に分配するようになっています。日本では中学高校で英語の授業は英語で行うことが定められました。

「国際化」とか「グローバル化」といって肯定的に語る人がたくさんいます。でも、それはそんなに喜ばしいことなんでしょうか。とりあえず日本において統計的に一つだけわかっていることは、母語の教育を疎かにして、限られた教育資源を英語に集中するようになってから英語力が低下したということです。
この現実に慌てた政府は日本人が英語ができないのは学習開始年齢が遅いからだという根拠のない解釈に飛びついて、英語教育の開始年齢をさらに引き下げて、小学校3年生からの英語教育開始を決めました。結果はまだ出ていませんが、英語力を含めてすべての学力が低下することになるだろうと僕は予測しています。

なぜそんなことが起きるのか。それは言語政策を起案している日本の政治家や官僚や学者たちが「言葉を使う」という営みの複雑さを知らないからです。
彼らは言語というものを自転車や計算機のような「道具」だと思っている。こちらに道具を操作する主体がいて、あちらに道具がある。性能のよい道具を手に入れ、操作技術に習熟すれば仕事が捗る。そう思っている。でも、それは違います。言葉は道具じゃない。僕たちが言葉を使うというより、僕たち自身が言葉で作られているのです。僕たちが言葉を支配しているのではなく、むしろ僕たちが言葉によって支配されているのです。言葉は僕たちの血であり、肉であり、骨であり、皮膚である。それがどのような質のものか、どのようなかたちのものか、どのような特性を持ったものかによって、僕たち自身のものの考え方も、感じ方も、生き方もすべてが影響を受ける。
英語を巧妙に操れるようになるということは、「英語を母語とする種族のものの考え方、感じ方」をわが身に刻み込み、刷り込んでゆくということです。そのことの重大さに人々はあまりに無自覚だと思います。
 
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333404 知的創造は母語によってしかできない。〜日本語で考える事の本質とは 田野健 18/02/12 PM00

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