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法曹・官憲・役人こそ、社会閉塞の黒幕
331693 道徳心を持ち合わせていない教育者が教える道徳
 
若林勇夫 17/12/07 PM01 【印刷用へ
教育関係者などの管理する側の人間がまともな道徳などを備えていないにも関わらず、道徳を教えているのが現代の学校教育なのかもしれません。

いじめ自殺が起きてもそれを黙殺し、人命が失われたという現実よりも、学校の評判や自分たちの社会的身分を守ることしか考えられない大人に道徳があると言えるでしょうか?

以下、(リンク)より転載。
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道徳教育でいじめ自殺は無くならない

道徳の授業などを増やしたりしたところでいじめ自殺はなくなりませんし、根本的な解決には成り得ません。

いじめ問題をとりあえず何とかしようという文部科学省や学校関係者たちのパフォーマンス(見せかけの演技)に過ぎないというのが真実です。

■道徳とは精神世界の領域
 
まずこれは言うまでも無い事ですが、道徳というのは人間の精神世界の問題です。

1 善悪の基準や価値観の理解
2 社会通念上の決まりごとを守る意志
3 他者への敬意
4 周囲の人間の利益を考える高度な人格

およそこのようなものを高めることが道徳教育に求められている役割だと言えるでしょう。

しかし、現実にはどうでしょうか?

私自身は全くもってこの道徳教育がいじめや、これに起因する自殺事件を減らせるような効果は皆無だと考えています。

小学校低学年から道徳の授業などをこなしていても、現実問題としていじめは無くなってなどいません。

現に2000年代になってからでも、善良な人間性を持った人を育てるなどという学校現場でいじめを苦に自殺する人が全国各地で相次いでいます。

大津市のいじめ自殺事件でも、その事件のあった中学校は道徳教育の素晴らしさを文部科学省から認められていたという背景もありました。

そのお墨付きというものが存在した学校でも、あれだけの陰湿で悪質極まりない犯罪行為をする人間がいて、自殺してしまった生徒を出していたのです。

道徳の時間割を設ければ、子供が善良になるでしょうか?

道徳の時間を増やしさえすれば、いじめが無くなり自殺する人も出なくなるのでしょうか?

・・・言うまでもありませんが、無くなるはずがありません。

これはもう過去の歴史が証明してきたことです。

文部科学省がいじめゼロの達成などというご立派な目標を掲げて、それが達成できていたという時期がありました。

しかし、フタを開けてみれば現実にはいじめ自殺が各自治体の学校現場で度々起きていたのです。

それを文科省などの教育関係者などが闇に葬って、数字だけを都合よく見せていただけだったことは既に明白の事実です。

学校の教師や教育委員会の人間らも、結局は自己保身のことだけを考えて真相を公開するどころか隠蔽しようと工作していたことも1度や2度ではありません。

とりあえず道徳をしていればいいとか、いじめ自殺が問題になってきたから道徳をとりあえず増やそうなどというのは傲慢で愚かな独りよがりの演技に過ぎないのです。

いじめ自殺が起きたとしましょう。

数値を良く見せないと上から評価されないから学校の教師や校長は自殺事件を隠蔽します。

教育委員会も文部科学省やメディアからの糾弾や処分などを恐れて、同じような事を続けるだけです。

そして文部科学省も教育の現場を数字で管理して、とりあえず都合の悪いことを隠してよい数字を出せばそれでいいという体質が変わりません。

道徳というのはそもそもとして、数字で計測できるようなことではないのは少し考えれば殆どの人は理解できると思います。

目に見えない心・内面の成熟度というものを、目に見える形でテストのように単純に数値化などできないことを、学校の教育関係者などは本当に理解しているでしょうか?

・・・理解しているはずがありません。

上から目線で教師や教育関係者が子供を見下ろしている限り、恐らくそうした人間たちは一生気付く事はないと私は考えます。

■教育関係者が道徳を備えていない現実
 
そしてもう1つ、決定的に忘れてはならないことがあります。

それは、教育関係者などの管理する側の人間がまともな道徳などを備えていない事です。

いじめ自殺が起きてもそれを黙殺し、人命が失われたという現実よりも、学校の評判や自分たちの社会的身分を守ることしか考えられない大人が道徳があると言えるでしょうか?

私には全くそのような倫理観や道徳観念が高い人間や組織だなどとは全く思えません。

言うまでも無くもはやこうした事件が全国各地で相次いで起きており、それを葬って学校の運営などしか考えない人間などが道徳の授業をするということ自体おかしなことです。

もはや笑えない冗談・ギャグだと言われても致し方ありません。

社会正義と真実を公平・公正に追求する人間を育てるなどという学校の管理者たちが、この道徳を備えていないというのでは説得力が無さ過ぎます。

道徳を高めるということは、もはや学校に期待しても無意味であり、的外れもいいことなのです。

英語が話せない人に英語を教わろうなどという人がいれば、頭の痛い人だと誰もが思いますでしょう。

教育現場で起きていることというのはもうこの手のことと何ら変わらないレベルまで来ているのです。
 
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