この記事の読者は累積824人です。
 
新しい共認勢力
330347 宮沢賢治の感性で共同体をつなぎ、 アフリカに「未来」を灯し続けるA
 
水沢奈々 ( 26 東京都 会社員 ) 17/10/12 PM09 【印刷用へ
以下リンクより抜粋

―――――

──人々の生活が安定し、そしてより豊かになるためのインフラとなるわけですね。さらにその先の事業のイメージはありますか。

将来的にはモバイル銀行の手数料から得た収益を、「配当」として村に渡せればいいな、と思っているんです。というのも、モザンビークという国は村という共同体における人と人の結びつきが弱いんです。まず、1975年にポルトガルから独立した際に、村が再編されました。それまではブッシュのなかにも共同体があったわけですが、再編によって幹線道路沿いに意図的に整然とした村づくりがなされていったんですね。

そこで、銀行の収益を利用者に還元する際に個人の貯蓄に対する「利子」ではなく、ともに生み出してきた利益の「配当」という形で村の共同口座に振り込みたいと考えたんですね。すなわち、井戸を掘る、学校や道を直す、共同農園をつくる──そうした村のアセットに使ってもらうことで、共同体を再び強くしていきたいんです。

──先ほど、村のキオスクの売上げが“消えた”ことを妖精のせいにされたという話がありましたが、これは一概に否定できないことだと思います。この肌感覚を理解しないまま事業を展開してしまっては、“外部”がアフリカを食い物にすることになってしまう。

それこそ世界規模で見れば、大航海時代から繰り返されてきた歴史ですよね。だからこそ、歴史のなかで繰り返されてきた同じ轍を踏まないようにしたかった。いま新たな事業を立ち上げるときもそうなんですが、僕たちはプロジェクトをはじめるとき、まずその村に行き、村のリーダーと話します。そのリーダーも、伝統的なリーダーから行政の指導者までさまざまです。

リーダーに納得してもらえたら、村人を集めてもらい、「このプロジェクトを進めたいんだが、参加したい人は手を挙げてください」と意思を確認します。バイオ燃料の原料になるヤトロファの栽培は、こうしたプロセスを経て、農地の周囲で育ててもらってきました。はっきり言ってぼくらは中小企業ですし、プロジェクトを始めて一年後にわれわれ自身が生き残っているかどうかもわかりません(笑)。だからこそ、こうして信頼関係を築くことが重要だったわけです。

合田の活動の原点には、東北の農地に向き合っていた宮沢賢治の世界があった。PHOTOGRAPH BY KAORI NISHIDA

──そうしたなかで、プロジェクトを進める企業のあり方が問われます。

もし仮に、われわれが一年後に撤退、あるいは企業自体がつぶれてしまったとしても、現地の人々の既存の生活基盤に変化がない、というところを担保しました。先ほど触れたように、現在の土地利用の範疇で栽培してもらったヤトロファを売ってもらうのですが、それはあくまでプラスアルファの収入になっているわけです。売れるからといってひとつの収益源に依存させてしまっては、それがなくなったときに地域経済そのものが破綻しかねません。

──アフリカの地がビジネスの現場として注目されるいま、そうした姿勢は極めて重要だと思います。そうした強い信念は、どのような歩みを経てつくられてきたのでしょうか。

改めて振り返ると、自分の感性を形づくってきた3つの柱があるような気がします。何よりもまず、長崎で生まれ育ち、土地と結びついている原爆の記憶を通じて、日頃から戦争について考えていたこと。エネルギー事業に踏み出した一番の要因は、ここにあります。

次に京都大学時代に、吉田寮(編註:1913年につくられた学生による自治寮)に住み、探検部に入っていたこと。学術的好奇心のままに活動するという探検部の活動や、学生が自治して家畜を飼ったりするような吉田寮での生活には、かなり影響を受けています。

そして最後は宮沢賢治ですね。ぼくは小学生のころから大学入学後まで、谷川雁(編註:1960年代を中心に、吉本隆明と並んで若い世代に多大な影響を与えた詩人)による「ものがたり文化の会」に所属していまして。そこで行われていたのは、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や『グスコーブドリの伝記』といった物語世界を人体表現する、といった活動でした。ぼくは単に楽しくやっていただけですが(笑)、結果的に賢治の感性がぼくのなかの深い部分に埋め込まれていると思います。

豪快に笑う合田の笑顔はモザンビークの村人たちをも魅了しいる。PHOTOGRAPH BY KAORI NISHIDA

──宮沢賢治は自身の物語世界においても、現実社会における実践においても、「倫理」について常に考えてきた人ですよね。東北の地で農業指導を行い、合成肥料に使う石灰の採掘工場で奔走した賢治の姿が思い浮かびます。

彼はやっぱり、目の前にいる人たちの生活と悲しみに心から寄り添い、共感をもって生きていた人だと思うんですね。その感覚は、物語を通じてぼくのなかで育まれたのだと思います。

──合田さんがエネルギッシュに事業展開される際の、その根幹にある倫理がよくわかりました。

ぼくはイノヴェイティヴな仕事をしているつもりはないですし、そもそもぼくの仕事は将来的にはなくなっていたほうがいい。そのとき、世界は平和になっているはずでしょうから。

いまはとにかく世界各地の多くの“現場”を歩いているので、ある土地に対して、別の土地で得た見識や技術が使えるのではないか、という発見が多い。アフリカ、あるいは東南アジアといった国々でたくさん仕事をし、一方でアメリカや日本でも仕事をしていると、「あ、これはあの土地で応用可能なのでは」ということが、相互に発生していくわけですね。アフリカの農村と日本の農村が抱えている本質的な課題は、似たようなものだとも感じています。

──世界中を飛びまわるからこその発見ですね。

そうした発見が100個あっても、すべてうまくいくわけではないので、とりあえずひとつずつ実行に移してみる。ちょっと無理かもしれない、というものもあるだろうし、次の世界が見えてくるものもあるでしょう。するときっと、協力してくれる人が現れるはずです。そうしたら、さらにもう一歩進める。

僕が経験してきたのは、この繰り返しなんですよ。バイオ燃料だって、成功するかどうかわかりませんでしたが、まずは原材料のヤトロファを植えることから始めた。それが広がって、今では6,000人の農民たちが協力してくれているのですから。
 
  List
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_330347
  ※トラックバックは承認制となっています。

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献


『るいネット』は、43年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp