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日本人と縄文体質
329584 「日本語を束ねる力」の行方 
 
秋田稔行 ( 38 大分 会社員 ) 17/09/13 PM09 【印刷用へ
同じ言語を使う日本

情報発信システムであるテレビや新聞などのメディアが言葉を牛耳っていた時代から、個人が発信できる携帯端末が主流になっている時代に変化してきている。日本語という言語は今後どうなっているのだろうか。状況の変化に応じて、日本語が新しい状況認識や可能性をもたらす構造認識を生み出せなければ、言語の可能性は廃れていくことになす。

今後は、情報システムだけでは「日本語を束ねる力」は持ち得ないかもしれない。束ねられた言葉に共感や得心が伴わなければ、それは束ねる力にはなりえない。
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■日本語は「方言」で踏み止まった
 細長い日本列島の1億2000万人もの日本人が、同じ日本語で話し、同じ日本文字で読み書きしている。これは決して当たり前ではなく、世界的にも珍しい。

 図は、国境を取り払った世界の第一言語の人口割合を表している。日本人は自身の言語を低く評価しがちだが、思っている以上に世界の中では存在感のある言語であることが分かる。

 奈良時代、大和ことばは中国の漢字を文字として利用した。そしていつの間にか、ひらがなとカタカナを併用した巧妙な日本語が形成されていった。

 貴族、武将、商人などが残した各地の文書を見ると、古くから日本文字は全国共通だったことが分かる。しかし、文字が共通でも、会話が共通だったかどうかは別である。文字が同じでも、発音がまったく違う中国語と日本語の例もある。

 日本には発音が異なる津軽弁や薩摩弁など、多くの方言があった。それらの人々の発音の相違は、加速していく運命にあったはずだ。各地の発音が一地方の方言で踏み止まり、「異なる言語」へ進化しなかった理由は何だったのか?

 日本語が共通の話し言葉として、束ねられた力は何か?

 日本列島の会ったこともない遠くの人々が、同じ言語を話す。それには強い意志と力が必要となる。

 意志とはコミュニケーションへの強い思いであり、力とは人々の言語をばらばらに散らさないで束ねる力である。

 
今と昔の「日本語を束ねる力」

 現代の日本語を束ねている力は、明らかである。それはテレビである。

 現在の日本人は生まれて気がついたときには、テレビの前に座っている。毎日アニメを観て、ドラマを観て、出来事を知り、スポーツを観戦している。

 東京から発する強烈な情報エネルギーは、3500kmの長さの列島に住む人々に日本語を受け入れさせている。暴力的とも思われるテレビの束ねる力に、誰も抵抗できない。

 では、テレビやラジオが登場する以前、日本語を束ねた力は何だったのか?

 近代の明治になったとき、日本人は当然のように日本語を話していた。全国各地から東京に集まった日本人は、憲法を作り、国会を開設し、国民国家の体裁をあっという間に整えた。

 このとき、人々の間に通訳はいなかった。言語が障害になることはなかった。

 近代日本になる以前、すでに日本語は確立していた。日本人を日本語で束ねたのはいつ? どのような力だったのか?

 平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代を見ても、青森から九州まで全国の日本人を束ねた大きな力の形跡はない。残されたのは江戸時代である。

 やはり、それは江戸時代にあった。

 江戸時代、江戸からの強烈な情報発信システムが存在した。それは強権を伴う力ではなく、あくまでソフトシステムであった。

 書籍、言葉、絵画、芝居、服装、流行と、あらゆる情報が江戸から発信されるソフトシステムであった。日本列島の人々は、そのソフトの情報システムを受け入れていった。

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