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日本人の起源(縄文・弥生・大和)
328663 縄文人・弥生人とは何者か−1
 
高嶋靖男 17/08/09 AM00 【印刷用へ
国際情勢の分析と予測 から
「日本とは何か、どんな役割があるのか」という問いに対する答えを模索すると、どうしても縄文人・弥生人とは何者かという問いに行き当たる。リンク

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井沢元彦氏と哲学者・梅原猛氏の対談は銅鐸文明の出雲王朝を銅鏡・銅剣文明の九州王朝が滅亡させたことを主張する。異論も多いようだが私はこの主張に同意する。銅鐸は馬の首につける鈴が大型化した祭器であるが、音を出すことを目的としない祭器として使用されていた時期がある様である。銅剣に「つるぎ」、銅鏡に「かがみ」という大和言葉が対応するのに、銅鐸に対応する大和言葉は存在せず、それは銅鐸文明が消滅したことを指すという彼らの主張は正しいと思われる。そして、彼らが口に出していないが最も重要と思われるのは、現在の皇室の三種の神器に剣(恐らく銅剣)と鏡(恐らく銅鏡)が含まれるが銅鐸は含まれないことである。また、銅鐸は出雲地方と近畿地方を中心に出土している。銅鐸文明の出雲王国を銅剣文明の北九州王国が攻め滅ぼしたのだろう。それが大国主命の「国譲り」で、その際には出雲王国の王である大国主命を含めた住民に対する凄惨な虐殺が行われたのだろう。「2014年5月27日、高円宮妃、次女典子様と出雲大社の千家国麿氏の婚約は、先住民と渡来してきた天皇家との和解」との「世界支配層の策略の記載」はその虐殺の歴史を伝えたものなのだろう。

銅鐸は紀元前200年頃から使われはじめ、紀元200年頃に突然姿を消す。紀元前200年は秦の始皇帝による中国統一(紀元前221年)の直後であり、滅亡した他の戦国七雄諸国の王族が日本に脱出してきた可能性が高い。不老長寿の薬を探すとの目的で始皇帝の命令で3000人の若い男女や多数の技術者を連れて日本に渡航し日本で平原と広い湿地を手に入れ王となり戻らなかったとされる徐福もこの時期に日本に渡航している筈である。徐福が手に入れた平原と広い湿地は筑後平野・岡山市付近の平野・淀川水系の平野・濃尾平野のいずれかと思われ、巨大な集落であった吉野ヶ里遺跡が徐福王国であった可能性が高いと思われる。

紀元200年は紀元150-180年頃かと思われる倭国大乱の直後に相当する。また、黄巾の乱(紀元184年))で後漢が滅亡して激しい内戦となり中国の人口が数分の一に激減した時期に近い。その背景には、気候変動で世界的に気温が低下し降水量も減少したことが挙げられる。中国大陸の激しい内戦を逃れて多数の中国人が日本に脱出してきたことだろう。弥生時代の日本では米作が開始されるとともに、縄文人とは異なる人々が多数西日本に出現している。当時は満州や朝鮮半島北部では米作は困難であり、彼らの多くが揚子江下流の米作地帯から日本に移住した人々であることは間違いないだろう。

しかしながら、古代から現在まで日本語の語順や大和言葉の語彙は中国語とは全く異なっている。日本語は高句麗語に近いという説があり、百済や高句麗滅亡後に多くの遺民が日本に移住していること、日本人のGm遺伝子がアイヌや沖縄人を含めてほとんどブリヤート族に近い北方モンゴロイドであることも合わせると、多くの日本人が高句麗や百済と同様の扶余族の血を引いている可能性が高い。

Y染色体のハプログループD1bはアイヌと沖縄で特に比率が高いという特徴を持つ。同様に、アイヌと沖縄人はATLウイルス抗体陽性者が多いことで知られる。日本本土でも、南九州・佐世保・能登半島・隠岐・三陸沿岸など辺境地域にATLウイルス抗体陽性者が多いという。この分布から考えて、ハプログループD1bとATLウイルスは縄文人を代表する指標と見なして良いだろう。

一方、ハプログループO1b2はその分布から弥生人と見なせるが、朝鮮半島と日本で多い他、満州や東南アジアでも見られるという。扶余族を代表する指標と見なせるだろう。これは中国華北に多いハプログループO1、中国華南に多いハプログループO1b1やO2とは異なっている。

これらをまとめると、弥生人は中国江蘇省や浙江省など中国東部から米作技術を持って西日本に脱出した人々と、満州から朝鮮半島を経て日本列島に移動した扶余族の人々の二集団からなると思われる。後者の言葉であった扶余系言語が日本語の祖先であろうことから後者が日本人の祖先に占める割合はかなり高いと思われる。一方、徐福らが日本に来た紀元前200年頃の日本の人口は10−20万人とされており、子供を作る前の少年少女3000人を連れた徐福一行はその子孫を合わせると数十年後には1万人を超える人数になったであろうことを考えると、徐福一行は日本人の遺伝子プールの少なくとも5−10%は占めていると思われる。その他にも中国東部から日本に移住した人は多数存在したと思われる。百済・高句麗だけでなく呉・越なども含め、滅亡した王朝の中枢階層は勝利国家にとっては反乱の危険分子であり徹底的に虐殺された可能性が高く、それを避けるために日本に密かに脱出するというのは全く合理的な行動だ。それは、朝鮮戦争前後の済州島での韓国軍による住民大虐殺で生き残った人々の多くは日本に密航していたという事実と類似しているのではないかと想像する。とすると、中国東部から日本に移住した人々も扶余族と同じハプログループO1b2に属している可能性が考えられる。ひょっとすると、周王室そのものがハプログループO1b2であり、呉だけではなく高句麗・百済など扶余族も周王室の子孫(つまり姫姓)である可能性すら考えられる。

(続く)
 
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