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新しい男女関係(→婚姻制)の模索
326599 今ここにいることが、充足感を生む2〜「今ここにいて」こそ、人は人と心を通わすことができる〜
 
月読尊 17/05/18 PM03 【印刷用へ
週間代々木忠の『第378回 「今ここにいる」(リンク)から転載します。
----------------------------1より
 1人目のときとは打って変わって、見ていたエキストラたちは誰も一言も発しない。みんなそれぞれに何かを感じているのだ。セックスが終わっても、抱き合ったままふたりが唇を求め合う音だけが、静まり返った部屋に響いている。

 「どうしたの? みんな黙ってしまったな」と僕がカメラを向けると、ひとりのエキストラが「なげーな」と初めて声をあげた。終わってなおイチャイチャしている時間が長いと言っているのだ。ことさらおどけて言い放ったその表情からは、動揺している自分を気取られまいとする素顔が透けて見えたように思えた。

 言われたウルフが「愛は長いんですよ!」と切り返す。抱き合っている女の子のほうは「セックスっていいなと初めてちゃんと思ったかもしれないです。気持ちよくなることが好きだったけど、それはべつにオナニーでもよかったわけで、相手の人がいるっていいなと初めて思った」と言った。

 もうひとりの担当面接官である卓にカメラをふりながら、「この人の立場はどうなるの?」と迫ってみたが、彼女は最後までウルフから離れなかった。もう満たされたから、次を求める必要がないのだ。

 エピソードが長くなったが、2人の女の子の違いは、冒頭にも書いたように「今ここにいた」か、「いなかった」かである。「今ここにいない」と、セックスに限らず、起きている大切なものを取り逃がしてしまう。さらには取り逃がしたことにすら気づかないのだ。では、どうしたら人は「今ここにいられる」のだろう?

 以前このブログで「マインドフルネス」という話を書いたけれど、そこに出てくる「サマタ瞑想」は格好のレッスンになるだろう。なぜならば、呼吸を意識しながら「今ここに心を置く」ことこそがサマタ瞑想の要諦だからである。スリランカで上座部仏教の僧侶として修行している友人とつい先日再会した際、サマタについて彼はこんな話をしてくれた。

 瞑想をしていると、いろいろな雑念が湧いてくる。たとえば、体のどこかがかゆくなるかもしれない。そんなとき彼は「かゆみ」と心の中で言葉にし、「戻ります」と言って、ふたたび呼吸を意識するのだという。

 「かゆい」と言えばその主語は「私」だが、「かゆみ」と言い換えることで「私」と切り離されるのだろう。もし足がしびれたなら「しびれ」。過去の思いが湧き上がってきたら「あ、過去に行ってる」と客体化し、そこに感情移入しない。ただ雑念に気づくだけでいい。そして「戻ります」と言って「今ここに」戻ってくる。

 とはいえ、雑念は払っても払っても湧いてくる。しかし、見方を変えれば「今ここにいよう」とするからこそ湧いてくるとも言える。何かに心が囚われていて、文字どおり“心ここにあらず”だったら、かゆみもしびれも感じないし、その他の感情が湧き出る余地すらない。だから雑念が湧いてもOKなのである。その都度、雑念に気づき、「戻ります」と戻ればいいのだ。これをくり返していくうちに「今ここにいる」時間はだんだん増えてくるに違いない。やがては「今ここにいられる」ようになるはずである。


 「今ここにいて」こそ、人は人と心を通わすことができる。
----------------------------終了
 
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