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試験・身分制度の根深い害
326592 科挙の功罪〜あらゆる制度は自己目的化し、腐敗する〜その2
 
橋口健一 HP ( 54 大阪 技術者 ) 17/05/18 AM00 【印刷用へ
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しかし、ひたすら儒学関連の古典を記憶した人間が実務者として優秀かと言えばそんなことはないのは容易に想像がつきます。実際、明代では、科挙に合格したからといって、実務者としては必ずしも優秀ではない人間が数多くいたようです。

それでも明の政治がそれなりに回った背景としては、そうした官僚の限界を補う一群の存在がありました。それは宦官です。宦官は男性器を切除された(想像しただけで寒気が走りますが…)、皇帝の世話役、補佐役です。日本人の感覚からはなかなか理解しにくい存在であり、中国からさまざまな文化を吸収した日本でも、宦官という制度を取り入れようとしたという話は、筆者は寡聞にして知りません。

宦官は、学(といっても四書五経に限定されたものですが)こそありませんでしたが、世間知に長け、また、科挙合格者にはない度胸や才を持ち合わせていました。中国史に残るトラブルを解決したのが宦官だったという話も多々あります。

宦官と科挙合格の官僚が絶妙のバランスで牽制しあい、難局においては協力したことが、中国の政治を支えたのです。

しかし、科挙の制度は時代を下るにしたがって、どんどん自己目的化し、優秀な人材の輩出という機能を失っていきます。清代になると、古典を知っていることが最高のことであり、実際の政治は俗事として下に見なすようになったとも言われています。しかし、科挙の運営が科挙合格者によって運営されているのですから(名目上は皇帝直轄の試験ではありましたが)、その制度は容易には変わりません。

それでも中国一国で物事が完結しているうちはよかったのですが、19世紀になると、西洋の列強が科学技術なども武器にして中国に攻め入ってくるようになります。1840年のアヘン戦争がそのさきがけです。これには当時の科挙合格者は全く対応できず、宦官も役には立ちませんでした。その結果、19世紀後半、清は欧米列強の軍門に下ることになってしまったのです。

科挙が廃止されたのは、日清戦争に敗れて約10年後の20世紀初頭です。清朝末期の権力者、西太后の決定によるものでした。西太后は歴史上、必ずしも称賛される存在ではありませんが、この意思決定については、評価は高いようです。科挙の廃止を西太后に提案した康有為は、「科挙のない日本にも優秀な人は多い」と言ったとされています。

こうして科挙は1300年超の歴史に幕を下ろしたのです。しかし、その影響は、いまでも日本の大学入試や公務員試験に残っていることは皆さんご存知の通りです。それがいつどのように変わるのかは興味深いところです。

今回の学びは以下のようになるでしょう。

・どんなに効果的な制度であっても、長く続くとそれが自己目的化し、本来の役割を果たせなくなる可能性が高い。その制度で恩恵を受けた人間がそれを監督すれば、その傾向はますます高まる
 ・権力が集中化するのは危険。パワーバランスをとる何かしらの仕組みやガバナンスが必要
・物事を変えるきっかけとして外圧は有効。しかし本来は、時代遅れのものは、外圧によらず、自発的に変える仕組みが内在化していることが望ましい
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引用おわり
 
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