> シマフクロウ、ワシ、タカ、オオカミ、ヒグマ、キツネ、シャチ、クジラ、カメ、トリカブト、ドクキノコ、丸木舟、臼、食器、家、山、川、海、火、風、水、地震、津波、雷
これらの中で神格が高いのが、シマフクロウのコタンコロカムイ、火の神アペフチカムイ、クマのキムンカムイ、シャチのレプンカムイです。<(5492)
>アイヌの考えでは、自然界にあるもの(例えば水や樹木など)や人間の役に立つものがカムイとされ、カムイは神道や他の多くの宗教の「神」とは違い、人間と対等に並び立つ存在とされ、アイヌ(=人間)とカムイがお互いを支えあって世界が成り立っていると考えられていて、神を神の国へ返還するも神を新しく作るもアイヌの勝手となっていた。<(ウキペディアより抜粋)リンク
アイヌの世界では「神」とは特別な存在ではなく、むしろ彼らの生活の中に並立して存在していたようです。
では、神々の中に「格」が存在するのは何故なんでしょうか。
「神格」が上とされる神を見てみると、それぞれ「空」「地上」「海」「自然現象」と、それぞれの世界の中に存在しています。
これらをよく見ると、それぞれの世界において最も強そうで、或いは人間にとっても頼もしい守り神であったりするものの様に思えます。
例えばワシやタカではなくシマフクロウが格上なのは、夜の暗闇の中で眼をランランと輝かせ獲物を襲う姿は、昼活動するワシやタカよりもその姿は恐ろしくも力強くも見えたのではないでしょうか。
その意識は民衆の全員が感ずる意識であり、まさしく共認によって「格」付けされたものであるといえます。
しかも(人間が下手にちょっかい出さず、教われない限りは)人間にとって一番役に立つ存在でもある。
(彼らをしとめて食料とすることが出来れば、それは多くの民の飢えをしのげることになり、神からの贈り物と考えたのでしょう)
したがってアイヌの世界における神の格付けの意識とは、どれだけみんなの役に立つか、最も役に立つ存在が崇められるということであり、それは現代においても民衆を導くのに最も信頼できる(役に立つ)人をみんなの共認によってリーダーとして認める構造と同じではないかと思います。 |
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