>社会不全は答え(=新しい認識)によってしか解消されない。つまり、社会不全を従来の解脱様式で捨象することは出来ない。(例えばテレビは私権不全から社会不全への大転換によって、完全にズレた物となり果てた。)また、「等身大の幸せ」etcの言葉=頭でいくら捨象しても、解脱充足先がない以上、不全は解消しない。その上、不全の増大につれて充足基調の充足度も、どんどん低下してゆく。(24982)
今日、なんで屋劇場で「共認心理学」を勉強しました。
なんで屋露店で悩み相談や性格診断をする時に、この構造概念を使っているので、その有用性は常々感謝しているところなのですが、今日の劇場での参加者と内野の方のやり取りで、「共認心理学」が「答え」=「新しい認識」であることを再認識しました。
「人の悩みに、こんなにも冷静に分析して、答えてあげられるなんで屋の店主の方々って凄いですね。私も友達の悩み相談に乗ったりするんですけど、常に不安で、段々重くなってしまうのに。」
「なんで屋の店主が凄い訳ではなくて、この共認心理学を勉強して使っている。相談者「個人」に向かって同化しているのではなくて、社会構造として捉えて、より普遍的な状況認識に置き換えている。だから答えも出せるし、重くもならない」
「社会不全は答え(=新しい認識)によってしか解消されない。」
この答えの一つが「共認心理学」。
人一人の悩みにもこの「答え」(=新しい認識)でしか答えは出せないのです。
劇場に参加されていた皆さんの表情からも、「答え」との出会いを看取できたなんで屋劇場でした。
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