何れにしても、期待・応望充足を最大の活力源とする採集部族は、総偶婚によって期待・応望(=共認)充足を破壊する性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と期待・応望充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印していった。<実現論1_8_04
逆に贈与であれば、潜在的な緊張関係のもとでかつ友好の意思を多方面に示す必要性が高く、広域に渡ることが説明がつきやすい。<14552
縄文時代の人たちは大自然に対しても期待視をして、自然の恵みとして与えられた木の実や魚などを通して感謝の念を抱いていたに違いない。私は黒曜石や翡翠も相手が喜んでくれる自然の恵みであったと思う。貴重だから隠し守るのではなく、みんなに自然の恵みを味わって欲しいという意識の方が強かったのではないかと思う。
黒曜石は獲物を切り裂いておいしく食べて幸せになれる。翡翠は神秘的できれいだし自然の恵みをより感じられる。
そういう意味では、黒曜石とか翡翠は期待・応望充足を高めるものでなかったか。だからみんなが喜ぶ贈り物という形で、信認ネットワークに載っていって広まったのではないだろうか。
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