農村における閉鎖性=私権意識というところが、チョット引っかかる。
農業でいえば農地である田畑、漁業で言えば網などを張ることが出来る漁場については、所有者や領域が決められている。一見すると所有意識(=私権意識)ともとれるが、これは自分(や自分が属する集団)の大切な生産(生存)基盤であり、製造業で言えば工場やオフィスなどの資産になるだろうし、サービス産業では人や情報になる。生産基盤を脅かされることは業種に関わらず大問題であり、これを守ったり維持しようとする意識について、閉鎖性や排他性という言葉自体がフィットしない感もある。自分=みんなという共認の原点から考えて、妥当な表現だろか?
人々の意識が私権から共認に転換しても、大切な生産基盤を奪われることに対しては抵抗があると思う。
「私権の最後の砦それが農村」という意見もあるが、むしろあらゆる業種で自らの利益集団を超える「みんな期待」への活力転換と、その期待をうけ課題・役割を構造化していく作業が必要なのではないか?
|
|