>知識人が答えを出せない理由は、未だに否定or自我に基づいて思考しているが故に、既成の誤った「構造認識」や「価値観念」から脱却できないからである。
新しい『基本構造』は、否定意識や自我意識に(もちろん感応観念にも)囚われない新しい潜在思念によってのみ考究される。(18718)
かつて、私権に収束した人々の意識を引き付けてきたのは統合者階級(知識人)の価値観なのか彼らの地位・権威だったのでしょうか。力(財力・権力・地位)が強制圧力としてまだ有効だった時代は、多くの人々(庶民)は地域の共同体の中に現実を見出していたでしょうから、お上(政治家、知識人、有力者)の思想・価値観とは明らかに意識上のズレがあったに違いないと思います。単に、逆らうことは許されなかったのであたかも賛同したかのような振りをしていたのでしょう。
むしろ、そうした統合階級の「意」(=お墨付き)を得ることに最大限の努力をしたでしょうし、自ら統合者階級に駆け上りその力のある「意」を行使しようとしたのではないでしょうか。つまり、彼ら統合者階級の発する「構造認識」や「価値観念」は自らの権力を誇示する(私権を獲得する)ためのもので、森羅万象(とまでいかなくても人間社会)を統合しようとする志向は欠片も無かったのでしょう。
それは、彼ら知識人の意識が自らの私権確保にしか向いていなかったとも言えますし、彼らの権力が及ぶ領域が限られていた(=夫々に与えられた以上の認識形成は必要なかった)ために、統合認識の形成は体制的に不可能だったとも言えるのではないでしょうか。今もその状況から決別できない(囚われている)知識人に答が出せるわけが有りません。
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