素人による創造
95049 「柔軟な思考」と「大胆な仮説」とは
 
津久田博之 ( 45 大阪 現場監理 ) 05/07/24 PM06 【印刷用へ
>何よりも柔軟な思考と大胆な仮説の提起が求められる現在、その最も反動的な妨害者として立ちはだかるのが、他ならぬ個人主義者たちです>

「何よりも柔軟な思考」とは、現実を直視し、社会を構成する人々を肯定視する事で初めて可能となります。

これには、個人主義者はおそらく「何も自己主張だけをしているわけではない、他人の意見を尊重する柔軟さは持ち合わせている」と言うでしょう。

しかし、それは他人の意見を表層的に肯定しているだけで、その実態は個人第一であるが故に、相手の意見だけに留まらず、相手の存在自体を否定、あるいは捨象してしまっている。でなければ個人主義は成立しない事になります。また、

>その最も反動的な妨害者として立ちはだかるのが、他ならぬ個人主義者たちです>

であるが故に、現代の不全状況の突破口を提起しようとは考えにも及ばないし、また提起する事など出来ません。

したがって「大胆な仮説」の提起とは現在、序列統合から共認統合への人類の大転換期にあり、皆の意識も大転換しなければならないことから、あえて「大胆な仮説」という言葉を使ってはおられると思うのですが、皆が意識を転換し旧観念の一切を排除した事実認識を持ち寄れば、忽ちに仮説ではなく事実に転換されるのではないでしょうか。

>その最も反動的な妨害者として立ちはだかるのが、他ならぬ個人主義者たちです>

しかし、この活力も最近ではすっかり衰弱してきています。繰返しになりますが、「何よりも柔軟な思考」とは、現実を直視し、社会を構成する人々を肯定視する事で初めて可能となります。また、「大胆な仮説」とは皆が旧観念の一切を排除し持ち寄られた事実認識群であると思います。

このように、本来の共認社会の到来は、いずれ個人主義者の居場所はなくなる事を意味するものであると思います

 
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