今まで僕は無茶をしていろんな怪我をしてきた。
その中で大学時代、交通事故で1年半ほど利き腕が動かなくなった時期があった。100キロを超えるスピードで車がスピンして、ガードレールに激突。後部座席にいた僕の腕は激突の過重に耐え切れず、上腕骨が粉砕された。螺旋粉砕骨折。粉砕された骨のかけらは腕の運動神経と知覚神経と筋肉の全てを切断した。そして肩から下の腕は、まったく僕の体とは別ものになった。
手術は、粉砕された骨片が残る動脈を傷つける可能性が高く見送られた。成功の見通しがたたず、失敗した場合は腕の切断を迫られるという。結局、ギプスによる腕の固定が医者が唯一施した処置だった。そして、手術不可能。自然治癒の可能性は3%と断言された。その後、僕は希少事例として大学病院に送られた。そこで、半年近く医者に何をされたかというと、教授やインターンや学生相手の実験材料だった。
非常に珍しい症例であるとされ、四肢に電極を五センチも垂直に刺され、高圧電流を流され、神経の反応を見る。新しい機械や使った事のない器具を試される。失敗や誤作動も多々あるなか、幾度も学生の臨床訓練と称して何度も意味のない電極や針をつきたてられた。サルやモルモットと同様の扱いを受け治療とは無縁の入院、通院を強いられた。
そして、ついに医者に見切りをつけた僕は医者に頼る事をやめた。そして仲間を頼った。東大やら理科大やらの医学部の学生の友人やリハビリ職についていた彼女。その他大勢の後輩や先輩に。みんなの心からの協力により、あらゆる事例・症例、方法論と事実を頼りに、神経系の再生事例を検証し試しつづけた。
けれど実際、途中、実はもう腕のことなんかどうでもよかった。もともと楽観的な上に両利きで、どちらでも字も絵もかけるし生活には大して困らない。それまでやっていたボクシングや剣道、バイクなんかは出来なくなるが、それすらもどうでもよかった。なにより、「おまえは大丈夫だ。」疑いなく、そう言い切って関わってくれる仲間に囲まれている事で、僕はすでに充たされていたのだ。ただ、そこまで言われては、なんとか期待に応えねば・・・。もはや腕のことは自分の課題ではなくなっていた。
半年後、神経は繋がった。
運動機能も半年のリハビリで回復した。そう、すべてが元に戻った。そして、なによりも、その事を喜んでくれたのは仲間達だった。そして、一様にこう言った。「ほら、言ったろ。大丈夫だって。だからハナからおまえの事なんて、心配なんてしてなんかいないんだよ。」正直、腕が治ったことよりも、その言葉が僕にとっては何より嬉しかった。
当時、医者が自然治癒の可能性3%と断言した左腕が、何故治ったのか?僕にも医者にもその理由は分からなかった。しかし、今思えば、明らかにこの事例も共認治癒力の現れなのだろうと思う。僕も中年になり、梅雨時になると神経が痛み始めるようになったこの左腕。その痛みを意識するたびに、当時の仲間達への感謝の思いが沸き起こる。
そして同時に、医者ってどうなん?という問題意識を、改めて対象化することになるのだ。
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