> 縄文の時代から,現代の日本人のこころの深層にまで脈々と,受け継がれているものは何なのか?そんなものは,私権時代そして近代観念の時代に塗りつぶされ,もう呼び起こすよすがもないほど,はるかかなたに消え去ったのか?
・・・あれだけ長期にわたって継続した文化が,完全に消滅するはずは,無いのではないか?・・・日本人は,(明治政府がこの名をつけるまでは,こんなもの,どこにも存在しなかったと言うほど,異民族を意識することなく,ある意味では,のほほんと),この日本列島に,存続してきました。ということは,日本語の中には,縄文のこころが残っているのかもしれません。<(11426)
今から45年程前兵庫県川西市の加茂遺跡によく遊びに行きました。
桃畑や無花果畑の土を少し掘ると中から土器の破片や珠が、出てきて手軽に手にすることができました。
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その頃は、昭和11年に開館された宮川石器館があり、訪れたときはご子息が個人で管理されていました。
石器・土器が・勾玉陳列されていて、幾つもの箱には整理されていない破片や、修復途中の土器が置かれていて、加茂遺跡に対して、まだ、公に知らしめられず評価されていなかっ様に覚えています。
その後、急速な高度成長と相まって宅地造成が始まり、どんどん無花果や桃畑が宅地になり、遺跡は破壊され出しました。
見る見る周辺は開発によって様変わりしていった頃、遺跡の保護を訴えた高校教諭伊井孝雄さんと市民の「加茂遺跡」保存運動が始まり、私権より史跡が保護される市民運動の先駆けとなった遺跡です。
しかし、その頃から誰でも興味あれば、土器片を探し手軽に手に取り、遠い遠い祖先に想いを馳せ暖かさを感じ、また、もとの土に返すことも出来なくなりました。
加茂遺跡は2000年に国の史跡に、遺跡内には1993年、市の資料館が出来、
昔のように、親子で自然の中に埋もれた物を手にとって、歴史に生に触れながら語ることも、知ることも困難になりました。
守ることとは、囲うことになっているけれども、身近に感じて共存し守っていけることが、縄文の心と通じることの様に思います。
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