>従って、潜在的な新しい可能性が顕在化して新しい現実と成るためには、古い殻を内側からこじ開け、私権の現実の中を突き抜けてゆく必要がある。だとすれば、新しい演場、とりわけその中核を成す『認識形成の場』自体が、私権の現実(国家や市場)の真只中に乗り込み、内部から私権世界を解体・再統合しながら、突き抜けてゆくしかない。(35272)
この投稿を今から2年前に読んだ時、最後のこの部分(現実の真っ只中に乗り込み突き抜ける!)に非常に感銘を受けたのを覚えています。ただその時は現実の真っ只中とか突き抜けるという言葉に感覚レベルで共感していたのだと思います。
最近認識が深化していく中でこの時の感覚は現実の課題へとどんどん具体化しつつあります。先日のなんで屋劇場の中で最後にこんな話が聞けました。
「半専任という意味は社会統合を仕事にしていくという点で様々な可能性を示してくれている。
例えば社会統合の場に参加する事。
そこで獲得した認識を拡げていくこと。供給者になること。
それを使って自らの所属している企業や集団を変える事。
集団を変えることがすぐに出来ないのならまずはその集団の中の数人でもいいから共認を集めること。
半専任というのは裏返せば庶民感覚が生命線であり、新たな社会統合を実現するには万人ができる条件にしなければ成立しないという事である。誰もが担えるという仕組みを作り出す事が社会統合の過程そのものであるといっても過言ではない。
その時に忘れてはならないのは1点、認識は遊びではない仕事であるという認識、これさえもてばかなりの部分は解決する。そして真っ先に塗り替えなければいけないのが社会の統業(公務)は専業でなければできないという私権時代の固定観念である。」
その気になれば現実の課題、日々の仕事、それをとりまく集団、全てに適応していけるのが新概念であり、構造認識です。
私権社会の真っ只中から突き抜けるというのはまさに当事者として行き詰まっている私権時代の壁をひとつひとつ現実に解決していく事だと思います。
つまり認識形成の場とは人工的に作られたどこか特定の場所の事ではなく今、生きている私権世界の現実の場のことであり、突き抜けていくとは死に体の私権社会を本来の活力を持った共認社会へ導いていく過程のことなのだと思いました・・・・やる事(=仕事)は山のようにあります。
|
|