連日、JR西日本の不祥事が報道されており、TV・新聞・ネットをにぎわせています。指摘されている問題は多岐に渡っており、根本問題にはなかなか焦点が当たらず、重い雰囲気(閉塞感)が拡大している様が見て取れます。
運転手個人の問題からJR西日本の安全管理に対する意識の低さや、日勤教育・セクト意識・傍観者行動等々から垣間見える組織体質の問題など現在の日本が抱える社会問題が凝縮した事例の様に感じています。
象徴的なのは民営化したとはいえ今なお色濃く私権体質を残したJR西日本の序列による統合システムが構成員の意識や社会変化に対して機能不全を起こしている様が見て取れる点であり、また、私権や身分序列という旧い体質・旧権力がマスコミという新権力によって非常に脆く瓦解していく点です。
それに加えて、マスコミの無秩序で際限の無い叩き報道にはいい加減目を覆いたくなるような重苦しさすら感じます。様々な局面で人権を全面に押しだし、決めつけの勧善懲悪報道は、事実を知りたいという探索志向の大衆を歪んだ認識におとしめる怖さすら感じます。
もちろん、今回の不祥事は許し難く、二度と起こらない様にしなければならないのは当然ですが、不祥事に対して様々な弱者を登場させ、人権を楯にトコトンまで叩きまくる報道には、叩かれる立場になった場合の恐怖を暗黙のうちに生起させることになっています。『何にせよ失敗はいけない。人権は絶対だ。他人の自由を犯してはいけない。被害者は加害者を非難し人権を強要するのは当たり前だ。主張するものが勝ち・・』といった風潮が暗黙の内に刷り込まれていくことの怖さすら感じます。
>そう考えると共認原理へと時代が変わったにも関わらず、ごく一部のマスコミや教育機関によって肝心の社会の共認内容が決まっている事に現在の根本的な閉塞の原因があるのは間違いないでしょう。(59487)
まさに、マスコミが社会の閉塞感を助長している構造なのだなと感じました。 |
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