>知識人が答えを出せない理由は、未だに否定or自我に基づいて思考しているが故に、既成の誤った「構造認識」や「価値観念」から脱却できないからである。
新しい『基本構造』は、否定意識や自我意識に(もちろん感応観念にも)囚われない新しい潜在思念によってのみ考究される。
それは、充足基調⇒本源収束、および社会不全⇒社会収束の潜在思念である。>18718
求められる考究は、ひとりではできない構造を示しています。つまり、社会に対する否定や自我に基づいた思考そのものが、社会=みんなの意識に対する背反事象であることです。さらに、あたらしい潜在思念発の思考は、必然的にみんなの意識が対象となり、自分発からみんな発にならざるを得ません。そのための同一視であり、その原点に感謝と謝罪という過程が必要となっている所以です。
人それぞれだから各人ができることからやれば広がっていくという主張を耳にしますが、根底には相手に対して否定視していることの証左です。いくら説得力があっても、相手にとっては押し付けとしか捉えられず、また相手の話を聞いているようで聞いていないということになってしまいます。これではこの私権社会が共認社会に変わることは有り得ないことです。
社会収束とは、つまるところ、この思考方法がかわることに他ならないと改めて享受いたしました。 |
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